國語問題に關するツイート抄錄
序
この文書は、oZ/acyがTwitter上で行つた、國語國字問題に關する發言を拾ひ上げて纏めたものである。最低限の誤字脱字の修正と、分りにくいと思ふ發言についての最低限度の補足のみ行ふ。成る可く元のままの形で揭載するのが本意である。
保守主義と假名遣
- 歴史的假名遣くらゐ扱へないで保守も何もなからうて、と暴言を吐いてみようかな。(【註】暴言でも何でもないといふ突つ込みが入つた。)
- 自民黨は「保守」政黨なのだから、現代仮名遣の廢止を建議すべきである。
國語規範について
- 人爲は變化を呼ぶ? (【註】漫畫は縱書、日本語學會の機關誌は横書といふツイートを見て)
- 「無爲自然」に任せた方が言語政策としては上策?
歴史的假名遣總論
- 國家レヴェルで開發終了しても、御製は歴史的假名遣に御座候。
- 歴史的假名遣が惡い、或は駄目なものであれば、明治を迎へる前に潰えてゐたであらう。近世に研究されたときに潰されてゐたかも知れない。歴史的事實は全くさうではないのである。
- 日本人が歴史的かなづかひを用ゐるのは、歐洲人が單語の綴りを昔どほりに書くのと同じことである。現代仮名遣にした日本人の方が異常。
- 時代を超越して讀んだり書いたり出來るからこそ、假名遣の意味があるんだよ。
- (【括弧内は補完】歴史的假名遣で)ちやんと書きたい人なら、こちらが指摘したときに、「咎め」とは受け取らないだらう。勿論、こちらの物言ひが惡ければこの限りではない。
- 擬きは排除されるべき。假名遣は玩具ではない。(【註】以上二つ、誤つた歴史的假名遣について)
- 歴史的假名遣を使ふのは、それが正統的であり、所謂新かなよりも國文法に合致してをり、國語を表記するに眞に相應しい方法であると考へるからである。70年前まで誰でも讀み書きできたんだから、特殊でも難解でもない。普通ですよ。今の人がをかしくなつただけ。
- 歴史的假名遣は、誰かがつくつたといふよりも、皆が前例に倣つて無意識的に使つてゐたものを、ものを考へる人が、これは實はかくかくしかじかなのであると、後で原理を引つ張り出したものである。偉い人が、かう書け莫迦どもと上から押し附けた訣ではない。
- 物理學者が物理法則をつくるのではない。物理法則が元々存在するのを、物理學者はどうにかして見附けようとしてゐるのである。歴史的假名遣も、誰かが假名遣をつくつたのではない。假名遣といふ規則があるのを、どうにか見附けて來た人がゐたのである。
- 現状で歴史的假名遣が「固定」されてゐるやうに錯覺するのは「現代仮名遣」の所爲で一般利用に供されてゐないが爲であり、本來的には、ある時點で固定されるやうなものではなくて、歴史の積み重ねを反映した變化や修正が當然になされるものである。
話し言葉と書き言葉について
- 文章語と話し言葉が違ふなんて、わざわざ言はれなくても分つとるといふにw
- つふか、文章語と話し言葉が違ふといふことを認識できてないお莫迦さんがそんなに多いのか? そんな莫迦な。
- 至極當然といふか、書記言語と口述言語が同じといふのは幻想だと思ふ。
- 文語だらうが口語だらうが、文章語と喋くり言葉は乖離してゐるから、結局文法とか語彙とかが分つてゐるかどうかの問題になる。
- 正字正かなにする以前から、ときに文語調で書いてゐたからなあ……。近畿人には「標準語」より文語調の方がしつくりくること も ある。
- 近畿の人間には、畢竟、標準語なんて書き言葉でしかないから「發音」との一致なんて無意味ですw
字音假名遣について
- 字音假名遣は體系的といふよりは、保存的なのだと思ふ。
- 古代に日本人が聞き取つてかなに寫した支那人なりの發音が、大體においてそのまま保存されてゐる、と考へるべき。
- 但しあくまでも當時の日本人が聞き取つた、聞き取れた發音であつて、支那人がどういふつもりで發音してゐたのかまでは保存されてゐない可能性も大きい。此の邊は何も參照せずに勝手な臆測で述べてゐるから宛てにしないで呉れ玉へ。
- 字音假名遣は保存的であるが、和語の歴史的假名遣、ことに活用語のそれは、保存のみならず、文法構造に照らして體系的であると言へよう。
- @** 和語のでも、名詞の假名遣は保存的な部分が大きいのだと思ふ。
正假名遣の具體例
- @** 「どう」は「だう」にはならず「どう」です。國語辭書を引くと、歴史的假名遣ひが載つてゐるので、困つたときは辭書を引くことをお勸めします。
- 「ゐない」はワ行上一段活用動詞「ゐる」の連用形に打ち消しの助動詞「ない」が膠着した形であるから、「ゐない」であつて、尾がゐとかひとかになる筈がない。
- 「~し・たい」は「たい(文語ではたし)」といふ助動詞が膠着してゐるのであるから、口語の終止形であれば「い」で終つてゐなければならない。
- 形容詞の語尾(終止形)はあくまで「い」であつて「ひ」でも「ゐ」でもありませんから。古語だと「し」。
- @** そこまで崩れてると、もう全部音便的扱ひでもええかな、と思つたりもする。他の活用形で「え」が出てくるやうなこともあらへんし。
- @** 他の活用形で語幹に「え」の形が出て來るなら「えい」は完全にありになると思ふんやけど、さういふのがなくて、終止形のみ別形といふ邊りに違和感が殘る。まあ、主觀も混じつてはゐるんだらうけど。(【註】以上二つ、「良い」の近畿方言「ええ」の歴史的假名遣について)
- @** それは「ちやふ」でせうね。文法的に。(【註】~て仕舞ふの轉の「~ちゃう」をどう書くべきかといふ提議に對して)
- 違ふ→「ちゃう」も、正かなで書くなら「ちやふ」であるべき。
- 助動詞は「よう」で名詞は「やう」。「やう」は元々?字音假名遣だが。
- @** やうやうしろくなりゆく、のやうやうは、漸うなのです。
歴史的假名遣と「表音」について
- 歴史的假名遣は、語を表すものであるから、「ほんたう」と書いてゐても、コンテクストに應じて、「ほんと」と讀めばいいし、どうしてもさう讀ませたいときに、表音的な書き方を交ぜることを禁止するものでもありません。
- @** 私も、別に何が何でも歴史的假名遣の規則に完全に從ふべきと思ふものではありません。敢へて表音的な假名の使ひ方をしたい場面では、したら良いと思つてゐます。
現代仮名遣について
- 現代仮名遣はもう「現代」のものと言へない。あれあれ、をかしいなww
- 昭和21年に出來たものが、未だに「現代仮名遣」なんだから笑へる。
- 「昭和」といふ言葉が、そろそろ時代遲れの意味を持ち始めてゐる今日、「現代仮名遣」の名稱はもう嗤ふしかないね。
- 時代毎に假名遣をつくつてゐたんでは、莫迦にも程がある。何の爲の假名遣か分りやしない。「現代仮名遣」はさつさとゴミ箱に叩き込まれるべき。
- @** 言うておくけど、「ほんと」だつて、現代仮名遣いの正則からしたら逸脱やからね? といふか、さういふ場合については、現代仮名遣いは何も述べてゐない。
- 現代仮名遣いについて誤解があるやうだから書いておくが、現代仮名遣いは所謂標準語にしか對應してゐません。「ほんと」とか「でしょ」とかの表記法については對象外。方言の書き方も對象外。現代仮名遣いで書いてゐるつもりでも、さういふのは仮名遣いではなく、めいめい勝手な表記をしてゐるだけ。
- 現代仮名遣は昭和な口語の日本語を書くためにしか使へない。「現代」と附ければ良いとか思つてゐる段階でアレ。
- 「現代仮名遣」は自然の變化の結果ではなく、新規に別個の規則をゼロからつくらうとしてつくり損ねて「歴史的假名遣」の規則を一部借りてどうにか恰好を附けた碌でなしである。
以下は平成24年6月13日に連投した分。
- @** てか、細かいところつつき回してもどうしやうもない氣がする。アレらに關しては。(【註】アレら、とは、現代仮名遣とかのこと)
- 言語感覺がまともなら「ひざまづく」一擇。
- うつかり序文か何かに「基づく」とか書いたからもとずくだけアウトとか、莫迦のやること。
- 「これを現代語音にもとづいて整理することは、教育上の負担を軽くするばかりでなく」云々 昭和21年11月16日内閣訓令第八號「現代かなづかい」に關する件より 強調のためのスペースは引用者が插入 (【註】強調部分をマークアップで強調しておく。)
- 先に一部引用した内閣訓令に「國語を書きあらわす上に、從來のかなづかいは、はなはだ複雜であつて、使用上の困難が大きい。」とある。大嘘である。
- それまで普通に普通の人が使つてゐたものが「はなはだ複雜」で「使用上の困難が大きい」なんて大嘘をよくもまあ吐けたものだと呆れ果つ。
- 「このかなづかいは、大体、現代語音にもとづいて、現代語をかなで書きあらわす場合の準則を示したものである。」昭和21年11月16日内閣告示第33號「現代かなづかい」「まえがき」より。ここでももとづいて、なんて書いてゐる。
- 現代仮名遣の規則を文章にした連中も上手く從へないやうな規則であるのが現代仮名遣であることは、この「もとづく」を見れば判る。他のは「いなずま」とか「ぬかずく」とか平氣で書かせるのに「もとずく」とは書かせないし、そもそも書いてゐないんだもの。初つ端で失敗した駄作である。
- 大體、「大体」つて何よ。規則に「大体」とか、訣が分らない。
- 大嘘の表明で始められた「現代仮名遣」の使用は甚だ氣分の惡いものである。
- 一億數千萬がずつと詐欺に遭つてゐるやうなものである。
- 詐欺に遭つたのを自覺してゐない人は仕方ないと思ふ。しかし、詐欺に遭つたのを自覺してゐながら、逆にお先棒を擔いで廻るやうな連中までゐる。さういふ連中は度し難い。
- 「難しい」も「むつかしい」と言ふことがあるんだから、やはり「むづかしい」が正しい。「むずかしい」なんて氣持ち惡くて書けない。
歴史的假名遣 vs 現代仮名遣
- 共産主義にしても「現代仮名遣」にしても先に頭で考へて後で實踐してアレアレみたいなところがある訣だが、民主主義やら自由主義やら歴史的假名遣の理窟といふのは現實の後から附けられたやうなところがある點は鑑みられても良いと思ふ。
- ところがどつこい、現代仮名遣に「遷移」したのは、昭和21年に内閣告示が出たからであつて、誰かが餘計なことをしなければ、誤謬の修正とか言葉の變化の反映とかはあつても、歴史的假名遣の枠組が變更されるやうなことは無かつた。 > RT
- 個々の語彙の書き方について、勘違ひやら何やらで搖れとか變化とかが生じてもそれは別に良いんだよ。問題は、枠組そのものがいきなり變更されたといふこと。歴史的假名遣は別に表記法をある時點で固定して了ふものではない。それを言ふなら、現代仮名遣の方が餘程「固定」して了ふ本質を有してゐる。
現代仮名遣愛好家に對して
- 新かな推進の諸君は、天皇陛下に、御製を新かなで書いて下さいと言へるのかね? 「舊かな」だと面と向かつて莫迦にできるのかね? 巷にゐる正かなづかひを莫迦にできても、その程度では、ちやんちやらをかしい。
- 一往正字正假名ユーザの俺としては、新字新かなの愛好家がなぜああも他者攻撃的なのか、ほとほとうんざりする。用字に限らず、愛用してゐる道具を貶されて「さうか、ぢやあ乘り換へよう」つて思ふ人はゐるだらうか。
- この説が正しければ、「新字新かな」派はただ言葉に無頓着な連中、と定義できる。「支持」するけれど「遵守」しない。まるでどこかの「護憲派」みたい。(【註】新字新仮名派は規定を守らず自己流勝手流で書きたがる傾向にあるといふツイートを受けて)
- 單に國が決めただけで、其れ以上の何らの利點がまるつきりない「かなづかい」や「漢字表」を皆うやうやしく戴いてゐる。一億總役人。
- 「げんだいかなづかい」や「じょうようかんじひょう」に疑問すら抱かない連中は、皆、ゆとりだよ。
歴史的假名遣 ≠ 文語
- 取り敢へず、歴史的假名遣と文語をセットみたいに思つてゐる意識を潰すべきか知らん。
- 私がツイッターでお遊びのときも歴史的假名遣といふ方針に轉換したのは、文語とセットといふ誤つた印象をぶつ潰すのに芥子粒ほどでも良いから作用したら良いなと思つたからである。(お遊びなら出鱈目でも良いか、と其の前は考へてゐたこともあることは白状しよう。)
大書き小書き
- 拗音、促音の捨て假名が法令で現れるやうになつたのは昭和63年から。昭和63年7月20日内閣法制局総発第125号 http://www5d.biglobe.ne.jp/Jusl/Bunsyo/yayuyotu.html
横書き
- FAQ「どうして題字が右横書きではないの?」については、昔の數學論文(正字正かな)を輪講で紹介して貰つたことがあつて、確かに左横書きであつた。まあ、數學の論文なので右横書きぢや讀めたものぢやないけれどもさww
交ぜ書きについて
- テレビは國民の國語を云々する前に、テロップを交ぜ書きにするのを止めて下さい。見苦しい。
- 「子ども」と書く奴はゆとり。
- 子供くらゐ全部漢字で書け莫迦者共。
- @** 何故「供」が駄目なのかまるでさつぱり全然これつぽつちもわからない。
- @** 其の手のつまらない言ひ訣を讀んだことあるけど、「子供」つて昔から書いてきて無問題やつたんやから今更ええやろ愚圖としか思はなかつた。(子供の「供」が「供へる」と讀めるから駄目といふ説について)
- 「翻ろう」で翻弄と讀めとか、意地惡クイズか何かとしか思へない。莫迦。莫迦。莫迦。
漢字・漢籍について
- 白川説以前だと、『説文解字』から引くのが一般的といふ印象。そこらの漢和でも大抵さうではなからうかと。
- 今でも皇室が何か引くときには漢籍から引かれることが多い訣だが。
- 常用漢字表も人名漢字表も粉々に打ち碎くべし。後、戸籍法第五十條「(1)子の名前には常用平易な文字を用いなければならない。(2)常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。」も削除すべし。
- 常用平易な文字でも他人が到底よめない名前を附けることが可能であることは、昨今の所謂DQNネームが實證してゐる。莫迦莫迦しい。
- 大體、苗字の方は昔の難しい漢字のまま、異字體もそのままで、諱だけ「常用平易」な文字を使はなければいけないといふのは、一貫性に缺けてゐる。
- 部首になる基本的な漢字と其の意味と音を憶えておけば、組み合はせで出來た漢字については類推が利く
- ところが漢字表字體は字體を變更した所爲で字の義とか音とかを類推する爲の情報を缺損してゐるものが出て來て難儀
- @** 字體の簡略化に際しての省略で義符が消えて音符しか殘つてゐないやうな例があるやうな氣がする。(中共の簡體字についての遣り取りの中の一言)
- 表内字でも憶えてないものは憶えてないし、表外字だらうが憶えてゐるものは憶えてゐる。日本語なら、文脈と字形で類推できるし、駄目なら辭書を引けばいいし。
字體について
- この意味で、当用漢字表のまへがきにある、「印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをたてまえとした。」といふ文言は赦し難き暴擧であると斷ず。
- ラテン文字なんて、筆記體と、手書きのブロック體と、活字ではまるで別物な文字があるけれども、誰も氣にしない。
- 平假名でも、「そ」などは筆記では明らかに二つの異なる書き方があるけれども、誰も別のものとは思つてゐない。
- ラテン文字も平假名も、手書き文字と活字の間に間隙があつていいのであれば、漢字だつてあつて良いに決まつてゐる。駄目な理由があるなら、俺が納得するやうに説明せよ。
- 手書きの字體と活字の字體を一致させる、といふ當用漢字表以來の本邦の方針は、實に愚劣で間拔けで莫迦で拙劣で愚圖な考へ方であると斷言できる。
- ローマ字(ラテン文字)の活字と手書き文字が一致してゐないことは皆知つてゐる。平假名も異同がある。漢字だけ一致させる必要性など微塵もない。
ヤ行エ問題關係
- 歴史的假名遣を肯定する立場からは、ヤ行エを復活させることを意圖するのは、是か非か。
- 上方語の「ええ」(良いの轉譌)のうち、頭の方はヤ行エだらうな。區別するならやけど。
- いや、でも、「良い」の意味の「ええ」は音便だと思つてゐるから、區別する必要あるのか?
- ヤ行エ、意外に難敵だなこれ。
ローマ字表記關係
- どこにローマ字は發音通りに綴るのが正しいと書いてあるのか、典據を示せ。
- @** (【括弧内は補完】ローマ字表記は、)假名の通りで良いと思ふ。 → Kana-no tohori-de ii-to omofu.
- 大體ラテン文字使つてゐる英語やドイツ語やフランス語が發音通りの綴りでない以上、日本語をローマ字で書く必要がある場合でも、綴り方の規則といふのはあつて然るべきで、發音通りに綴ればいいなんて莫迦な話があつてたまるか。
- @** 矢つ張り、助詞は wa とか o より ha とか wo でないと辛い。