オバマの廣島訪問 (28.5.27)
27日、サミット終了後、オバマは豫定通り廣島に入り、平和記念公演を訪れ、演説するなどした。まさに狂騒といふべき報道のされ方には氣分が追ひ付かぬといふのが正直なところだが、彼が今回廣島を訪れたこと自體は結構なことと思つてゐる。
オバマが「謝罪」をしなかつたことについてあれこれと言ふ人もゐるやうだが、そんなことを期待してどうするのか、どうにも良く分からない。原爆に遭つた人がさう思ふのはまだ分からんでもないが、それにしたつて、直接關はつたわけでもないオバマに謝らせて何がどうなるのかも分からなければ、そもそも米國が原爆投下を「惡事」だと認めるとどうして思へるのかも分からない。「謝罪」なんかした日には次に來るのは「賠償」だつたりするわけで、今更蒸し返すのかと警戒して寧ろ當然である。
此の際だから言ふが、先の大戰のことにしろ殖民地支配にしろ、今になつても「謝罪」とか「反省」とか、いつまで續ける氣なのか、心底苦々しく思つてゐる。毎年毎年夏になつたらTVで辛氣くさい放送をやるわけだが、好い加減にして貰ひたい。どうせ見ないといへば見ないのだが、それにしたつて飽きもせず良くもあれだけ氣分の惡くなるものばかり見せるのか、本當に意地が惡い。戰爭に對する嫌惡感を釀成すればそれだけ平和に近付くとか、本氣で思つてゐるのなら、そんな阿呆は死ねば良いと思ふ。
オバマは大統領になつたときに隨分と期待され、ノーベル賞まで貰つたわけだが、結局のところは大した成果を上げたわけでもなく、寧ろ兵力を出し惜しんで文明の敵が蔓延るのを助けた愚物だと思つてゐる。しかし、今度廣島を訪れるに漕ぎ着けたのを見て、ノーベル賞の理由にもなつた核軍縮云々についての氣持ちだけは本物だつたらしいと、其の一點だけは評價をし直した。オバマが本氣でなければかうは行かなかつたらうし、日本側もいつになくしつかり順番を踏んで着陸させたものだと思ふ。かつてTrust me!
とオバマに言つた馬鹿たれがゐた氣もするが、本當、あの連中はどういふ神經をしてゐるのやら。其の手の度し難い連中が、政權の惡口を言つてゐるだけである程度まで評價されることは、理解不能である。
何はともあれ、大きなトラブルもなくサミットやら何やらが終はつて、一安心してゐる。