ビデオにて叡慮を賜ふ件 (28.8.8)

8日、主上におかせられては、ビデオメッセージの形で、「象徴としてのお務めについて」の叡慮を賜つた。畏れ多きことかな。

拜聞して思つたことであるが、まづ、主上は非常に生眞面目であらせられるといふことを改めて心に致した。天皇の果たすべきお務めについて眞劍なのは當然であるとしても、極めて嚴格にお考へあそばされてゐることを強く感じ、ただただ恐懼するより外ない。

また、昭和天皇の前例について重く受け止められてゐることを心に致した。國民生活に對する影響に言及されたことは、畏れながらそこまで意外には感じなかつたのだが、大喪に掛かる行事と即位儀式に掛かるものが重なつたり續いたりすることについての御憂慮は、仰せを聞くまで全く念頭になかつただけに、確かに御指摘の通りであらうと思はざるを得なかつた。

そのやうな叡旨を賜つて、考へ込んだことは、思つてゐたよりも率直ではつきりした言葉を發せられたことである。個人的には昭和憲法など投げ棄ててしまへと思つてゐるが、それはそれとして、ここまではつきり退位を示唆されたことが、果たして憲法に牴觸しないのかどうか、考へざるを得なかつた。同時に、かういふ變則的な形でしか叡慮を伺ふこともできないといふのは、やはりまづいのではないかとも思つた。昭和憲法の「天皇は國政に關する權能を有しない」といふ規定は再考せらるべきものだと思慮する。今回、このやうな形で叡慮が示され、其れに對して多くの國民が反應した樣子を見る限り、天皇を完全に非政治化することには無理があると斷ぜざるを得ない。

内閣及び宮内廳には、叡慮が明らかになつた以上、これを是とするか非とするかはともかく、必要とならう色々の對策を着實に實施し、以て宸襟を安んじ奉ることを期待したい。