平成の終幕に寄せて
【後日追記】代替はりの後に、些細な誤記を修正した。
本日(平成31年4月1日)、政府は讓位が恙無く行はれた後に用ゐられるべき元號「令和」を制定、發表した。事ここに至るまで、樣々な問題が提起されては、一往の解決をされてきたわけだが、忸怩たる思ひを胸に抱へてゐる人も多からう。一つの節目を迎へた今、筆者が今回の一連の出來事を見聞きして考へた所を纏めておかうと思ふ。
以降、事の性質上、憲法改正に言及してゐる箇所があるが、筆者は、昭和憲法は破棄して明治憲法を今の世に適合する形に改正するのが理想的であり、直ちにそれができないのであれば、昭和憲法のうち特に改正を要する部分を當座の處置として改正し、昭和憲法の破棄の日を待つのが次善である、と考へてゐる。そのことについて述べ始めるといたづらに長くなり、論旨もずれるので、ここでは深入りしない。
昭和憲法第四條の無理
今上には平成28年8月8日、ビデオメッセージを放送せしめられ、御退位遊ばされたい旨を明らかにされた。「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が制定され
今上が退位される運びとなつたのは、
叡慮が明らかになつた結果であり、如何に理窟附けをしようとも、因果關係がなかつたと言ふことには無理があらう。それでもなほ、直接の因果關係を排除すべく苦心慘憺した擔當者各位の苦勞には、全く同情を禁じ得ない。根本的な問題は、昭和憲法第四條第一項の規定にある。天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。
當時の主要メディアのいづれにおいても、この規定の妥當性について論じたものは殘念ながらなかつたが、筆者はこの規定の存在が問題を必要以上に面倒にしたと考へてゐるし、そもそも妥當な規定であるとは考へてゐない。ただ、妥當な規定とは思つてゐないが、現狀有效な憲法規定と看做されてゐる以上、國の機關は當然これに從ふべきであり、天皇は權能を有せざるとされてゐるにも拘はらず、事實上國政を動かしたことは、とても慶べるものではないと思つてゐる。
そもそも天皇は極めて政治的な存在で、さういふ存在を認めてゐる以上、それに國政に關する權能がないと宣言したところで仕方がない。現實に天皇が何か仰せになれば、今回のやうに必ず影響が出る。そして、それが本來あつてはならないといふことになれば、いざ現實となつた時の影響は却つて大きくなる。今回など、まさにさういふ形になつてしまつたのではないか。
私見を述べるなら、天皇、皇族が全く「政治的」發言をなし得ないと看做されてゐる現狀は宜しくないと考へる。さういふ發言がぽんぽん出て來ることを期待してゐるわけでもないし、望ましいとも思はないのだが、しかし一言何かあつたらたちまち大問題といふ狀況が正常とも思はない。假にさういふ發言があつたとしても、政權なり國會なり國民なりがその内容の是非について、いづこから出たものかを一旦閑却した上で吟味し、採るべきは採り、棄つべきは棄てることが出來るやうになるのが望ましいと考へてゐる。昭和憲法第四條第一項の規定は、天皇や皇族の「政治的」發言をたちまち憲法問題にしてしまひかねないといふ點からも好ましいものとは言へず、直ちに削除すべきと考へる。
實の所、讓位そのものについては、筆者は件のビデオメッセージが放送せしめられる前から、あり得べきことと考へてゐた。
今上が叡慮を示されるより以前、平成25年から26年に掛けて、オランダ、バチカン、ベルギー、スペインで君主が退位するといふことが續いた。外國に例があるから本邦でやつても良いと簡單に言へるものでないのは勿論だが、前近代には讓位の例が幾つもある。狀況にもよるが、何が何でも讓位があつてはならぬといふことはなからう。
今上も歷代稀に見る御高齡となりつつあり、今はまだしも更に何年も經つた後に御在位遊ばすのは果たして良いことなのかどうか、疑問に思つてゐた。その點からすれば、今回の一件にはこの文書で論ずるやうになほ善處を要したと思ふ所が幾つもあるものの、讓位それ自體については否定的には捉へてゐない。將來においても狀況によつては當然あり得べきことと考へてゐる。
「上皇后」なる奇妙な稱號
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」では、
今上の讓位後の稱號を「上皇」、皇后宮の讓位後の稱號を「上皇后」と定めた。太上天皇ではなく上皇を採用したことについても疑義はあるが、どうしても許せないといふ程ではない。しかし、「上皇后」といふ新規の稱號を採用したことは全く許容できない。皇太后といふ言葉が存在するのであるから、それを用ゐるのが當然であらう。新規の稱號を案出した「有識者」どもは、皇太后には未亡人の印象が強いだの、皇太后の英譯は Empress dowager だから駄目だの、わけの分からないことを言つたと傳へ聞くが、愚劣の極みである。英譯云々に至つては、譯語を變へれば濟む話で、日本語と英語を一對一に對應させねばならぬとでも思つたのであれば、極めつけの莫迦であると酷評せざるを得ない。かやうな莫迦げたことに附き合ふ必要を感じないので、筆者が當該の御方を「上皇后」とお呼び申し上げることは恐らくないであらうと、豫め宣言しておく。
秋篠宮の大嘗祭を巡る御發言
秋篠宮には平成30年の御誕生日に當たつての會見で、大嘗祭の規模について政府方針を批判された。そのことの「政治性」云々について論ふつもりはない。ただ、選りに選つて皇族から大嘗祭の規模を縮小したい旨の仰せがあつたことには正直なところ當惑した。
大嘗祭は言ふまでもなく神事であり、神事であるからには宗教的なものであることは論を俟たない。昭和憲法の條項との關係から國が費用を支出することに批判があるのは、現狀では止むを得ない。しかし、そもそもを言へば、神事を遣ると分かり切つてゐる天皇の存在を認めておきながら、國は一切宗教的なことに關はつてはならぬ、といふのは妙な話である。亂暴なことを言ふなら、神事をしない天皇には存在意義などないわけで、神事を遣る天皇を存置してゐる以上、國は、といふか國法は、天皇が神事を遣ることを是とするのが本來であらう。今の政府が、前例どほりに大嘗祭を行ふとしたのは、憲法上の疑義こそ殘るものの、まあまあ妥當な判斷をしたものと評價したい。
傳へ聞くところによれば、秋篠宮は内廷費の範圍で、といふ旨のことを仰せになつたさうだが、大嘗祭はただ皇室のみのために行はれる祭禮ではない筈で、内廷費の範圍といふ設定に意味があるやうには正直思へない。戰國時代、費用がないから即位の儀式が何年もできず、出してくれる者が現れたからやうやく儀式ができた、といふことがあつたわけだが、つまり裏返せば、儀式の規模を縮小してちんまりやつて濟ませれば良い、といふことでは決してなかつたわけである。皇室が國の費用で神事を遣るのは怪しからんと思つてゐる人も勿論ゐるが、皇室には費用を使つても立派に神事をやつて欲しいと思つてゐる人だつて當然ゐよう。現狀では私的に費用を進上することが許されないから誰もやらないだけで、許されるのであれば、費用を進上する者が出て來る、神社本廳あたりが獻金を募る、といつたことは想像に難くない。無駄があるから削るべき、といふだけなら理解可能だが、内廷費の範圍、つまり皇室の私的な領分に抑制すべき、といふ論は、大嘗祭の帶ぶべき性質からして、容れ難い。
秋篠宮の仰せの前提には、憲法上の疑義の問題が恐らくあらう。筆者は、そもそも天皇は神事をするものであるといふ簡單なことが昭和憲法から拔け落ちてゐるといふことこそ、一番の重大な問題であると考へてゐる。天皇の存在を認めるのであれば、無制限とは言はずともある程度までは、天皇が、あるいは國の機關が、神事をすることを是認するのが至極當然であり、宗教に關する憲法の條項はその筋で改正すべきと考へる。
元號を事前發表する不思議
今回政府は讓位に先立つて新元號を定めて公にした。改元は代始めに伴ひ行はれるもので、既定のこととはいへ未だ行はれざる讓位に伴ふ改元を先んじて發令したことには違和感を禁じ得ない。
一世一元制についての疑義はここではさておく。別段良い制度と思つてもゐないが、舊に復すべき積極的な理由も現狀見出せてゐない。
筆者が一番に違和感を覺えることは、踐祚當日から新元號を用ゐることに政府があくまで拘つたことである。新帝が踐祚したとて、その當日から早速新しい元號にせねばならぬといふ決まりはどこにもないし、前例も「大正」、「昭和」の二度だけで、「平成」は發令の關係で踐祚翌日に持ち越しとなつてゐる。昨今の社會情勢を考慮に入れるなら、踐祚後に發令し、然るべき期間を置いた後に、例へば一ヶ月後の6月1日とか、年度下半期の始まる10月1日とか、來年の1月1日から施行する、といふ段取りで良かつた筈である。本邦での實施例はないと聞くが、明や清では翌年年頭施行が常例であつたわけで、一世一元制を眞似しておいて、そこだけは眞似しないといふのも妙と言へば妙であらう。政府が踐祚當日の施行に拘つたことも解せぬなら、「保守派」と稱された事前發表反對派の諸君が踐祚當日の施行に疑義を挾んだ樣子が窺へないことも良く分からない。
さう言へば、ネット上でも、事前發表を強く期待するやうな意見は澤山あつたが、施行を後日に延ばすべきといふ意見を見た記憶がない。踐祚當日から改元されるといふ強固な固定觀念が存在するやうであるが、皆がそこに強く拘つたといふのが、やはり解せない。今回は事前に期日が分かる形になつたから事前発表のやうな(本來の意味での)姑息な手段を用ゐることで實務上の支障を減らせたのかも知れないが、この先いつもさうとは限らないといふことに、誰も彼も留意してゐないといふことが全く以て理解し難い。踐祚の後に新たな元號を選んで發令し、施行日まで相當の期間を置く對應とした方が、良き前例になつたと今でも確信してゐる。