■ 第12回 折しもそのときチャグチャグ馬コが
今回はタイトルに意味なしです。何から書けばいいかわかんなかったので、とりあえずつけた仮題なんであります。意味なくてすみません。でもタイトルの内容に意味がないとしても、タイトルに使われたレトリックには多少の意味があります。説明するのも野暮ですが、大島弓子のマンガ「おりしもそのときチャイコフスキーが」のパロディなのです。そしてパロディはレトリックの一種です。レトリックって種類が多いのです。知らず使っている場合がかなりあります。タイトルを有名作品タイトルのパロディにする程度のことなら、それこそ何万人の人がやってることだと思います。たまに、「私はレトリックなんか使っていない」と主張する人があるけど、はっきり言ってレトリックを使わずなんらかの文章を作るのは無理です。どんな技術も使わず絵を描くことが無理であるように。なんて、何言いたいんだか冒頭から曖昧ですが、それは私の頭が腐ってるせいです。きのう登山したんで疲れてるんですう。いや泣き言はやめようやめるのだ私よ。
さて、今日のテーマは「構成」です。長い文章を書く場合にはそれなりに構成に気を使う場合が多いと思いますが、短い文章のときはどうでしょう。四行または三行の詩であれば、「起承転結(または起承転合)」「序破急」などの古典的な構成法をそのまま使うことができます。俳句や川柳のような極端に短い詩形であっても、上五・中七・下五の三部に分けることができ、効果的な場所に見せ場を持ってくることができます。俳句の中には最後の下五で世界をひっくりかえすものがあります。
例文1.a.構成/降移法? 春の庭踏み荒らしたる犬公方
これは私の・・・まあ言うなれば最後にオチのあるバカ俳句のひとつです。「春の庭」でのほほんと幸せを暗示した次に「踏み荒らしたる」で幸せをぶちこわし、「犬」がぶちこわしたのかと思わせて実は「犬公方」が庭を踏み荒らしたのだというオチ。読者が私の思惑通りに読んでくれたならそうなります(もちろん私の思惑通りに読んでくれる人ばかりではないんですけど・・・)。この俳句を、たとえば下のように順序を変更したらどうなるでしょう。
例文1.b. 犬公方踏み荒らしたる春の庭
内容は同じなのですが、これだと面白くないのです。なぜ面白くないかはおわかりですね。最初にオチを書いちゃっているからです。小論文だと最初にあるていどの結論を書くのがセオリーですが、詩は必ずしもそうではありません。最初から飛ばすのではなく、最後にいきなりの劇的な変化をおくのが効果的なこともあります。「序破急」にしろ「起承転結」にしろ古典的な構成法は最後のほうに劇的変化を置きます。
かように劇的変化をおく場所にもいろいろあるのですが、劇的変化そのものにもいろいろ種類があります。それまで書いてきたことすべてを裏切るような盛り下がりオチがあるのを、降移法と言います。降りて移るわけです。読み手がすべての力を失ってがーっくりするくらいひどい脱力オチがあるようなのを、頓降法と呼びます。どちらもある意味、さんざん読者をじらして「えーそんなオチあるかよーこんちくしょー」と怒らせるレトリックです。そんなレトリック使いたくねーよーと言う人もあるでしょうが、まあ使わなくてもいいんですが、ここではものを読む場合の心得のひとつのようなものとして、「書き手は読者をがっくりさせようとしてわざと脱力オチを使う場合もある」ということを覚えておいてください。
今回はあまりおすすめしたい手法でもないので宿題なしでーす。どしても宿題をやりたいという人は、頓降法使って四行詩を書いてみましょう。ね。
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