■ 第14回 書く責任、書かない無責任、 比喩再録
さて、今回は真面目に先月の続きを書こうと思った。私のスランプの原因は「書くのが怖い」からというところまで書いたのだった。しかし今月も相変わらずスランプで、何からどう書いたらいいのかさっぱりわからない。で、今月の私は先月より無責任なので、もうどうでもいいや昔の文章を再録しちゃおうとかんがえた。私は責任を持ってこのページを文字で埋めねばならんのだが、今月はもうどうあがいてもアホな文章でしか埋められない。逆に言うとアホな文章でなら一ページくらいへのちょいで埋まるのだが、そんなもんをひとさまに読ませるのはかえって無責任とゆーものであろうと思う。
そーゆーわけで今月は旧サルレトより「比喩のまとめ」というものを再録させていただく。現在の私が書くあほーな文章よりはるかに役立つであろう。人間、時が経てば腕が磨かれるとは限らない。旬が過ぎると私のようにだらしないことになる。まあそれは愚痴か。
*** 比喩とは「何かを何かに置き換えてたとえて表現すること」です。その置き換え方にいろいろな種類がありまして、いちいち名前があるのですが、正式な呼び名はこむずかしいのでなるべく書かないで説明してみます。でも一応カッコ内に呼び名も書いておきます。
まず、比喩は、大きくわけて2種類あります。ひとつは、何かを何かに置き換えたということが読むひとに言葉のうえではっきりとわかるもの(直喩)。「あの人は花のようだ」なんてぐあいに、「〜ようだ」「〜みたい」「〜に似た」などなど、それが比喩であることをはっきり示す言葉がある比喩です。でも、「〜ようだ」という言葉があるからといって比喩だとは限りません。たとえば、「あの人は話したがっているようだ」という場合の「〜ようだ」は、「あの人」の心の内を想像して言っている、ということを示す「〜ようだ」です。「あの人」の行動や姿や声や心を、「あの人」以外の何かに置き換えて「あの人の態度は冬風のようだ」とたとえるとき、その表現は比喩になります。
もうひとつは、それが比喩だとはっきりわかる言葉を持たない比喩です(隠喩)。「あの人は花だ」と言い切ってしまう比喩が、代表です。こちらの方が、「〜ようだ」を使う比喩よりも種類や使い道が多く、豊かです。ネット上の文章につける(笑)や(^^;なども、こういった比喩のひとつです。実際に笑ってなくても(笑)をつけることがあるし、泣いてなくても(泣)と書いたりします。ま、実際に(爆)が起きたらエライことです(爆)。爆発も爆笑もしてないんだけど、この気分を表すには(爆)なんだ!というわけで(爆)と書く。「爆発しているようだ」なんて書く必要はなくて、ただ(爆)と書けばイメージが伝わります。
てな感じで、さて。下に比喩の種類についてまとめてみました。これらは、ほぼ全部が「〜ようだ」を使わない比喩です。
1.目にみえないものを人にたとえる(擬人化)
目にみえないものと言っても、風や声や匂いではありません。五官でとらえることができないもの、たとえば、希望・恋・愛・自由・嫉妬・経済・宗教・神・などなどのことです。目にはみえず聞こえず匂いもしないけれど、確かにあるものです。しかもやっかいなものです。たとえば、恋心なんてものは、自分で自分の思い通りになりませんよね、まるで他人が中に住んでるみたいです。だから、いっそのこと、思いのままにならない他人が自分の中に住んでるんだと考えて、それがどんなやつかということを具体的に考えてみます。恋心は何歳くらいでしょうか? 男でしょうか、女でしょうか? 背は高いでしょうか? 目は綺麗? 曇ってる? 「恋心は気まぐれなやつだ」と書くのではなく、恋心の見た目や声について書く方が面白いです。あなたが好きな人のことを書くのではなくて、あなたの心の中にある、恋心というものが、もしも人間だったらどんな人なのか、書くのです。絵になるくらいに書けたら大成功です。
2.目にみえないものを具体的な物にたとえる(象徴)
さて、ところで、その恋心は、いったい何色の服を着ているでしょう? 私なら目がちかちかしそうな黄色い服を着せますが、人によってはピンクや赤や黒の服を着せるでしょう。なんとなくピンクを選ぶ人が多そうな気がしますが、裸、と答える人もあるかもしれませんね(笑)。こんな風に、恋心にどんな色の服を着せるか考えるのが、「目にみえないものを具体的な物にたとえる」ことの一例です。
恋心をものにたとえるなら、元々あるのが当たり前なのにあるのが苦痛になった穴、と私は思うのだけどこれはたぶん一般的な例ではないのでさておいて、んー、普通だとなんだろう、ありがちなのは炎でしょうか。最初のうちはありがちな比喩だってかまいません。比喩を使う方が使わないよりずっといい。でも、詩の中で「恋は炎」と書いても面白くはなりません(それはそれで比喩ですが)。詩の中で「恋」という言葉を使いたくなったら、それをすべて「炎」に置き換えてしまうくらいに徹底するほうが効果的です。
3.たとえ話(アレゴリー)
今のところ、登場してきたのは「あの人」と「私」と「恋心」=「炎」。これで、お話をつくります。自分の経験を元にしてもかまいません。ただ、そのままの登場人物で書くとなにかとさしさわりがあるかもしれないので(笑)、「恋心」だけでなく、「あの人」と「私」も、まるでちがうものに置き換えてみます。「私」は「マッチ」、「あの人」は「マッチの箱(の薬品がついた部分)」ということにしましょう。なんでそうなのかわかりますね。「マッチの箱」と「マッチ」が触れ合うと、「炎」が起きて「マッチ」は燃えちゃう。でも「マッチの箱」は無傷のまま。こういうのがたとえ話です。
4.ものに心があるかのように扱う(有情化)
で、もうこうなったら、マッチに心があることにしてしまいましょう。マッチは燃えております。でもマッチの箱は燃えてません。さてマッチはどんな心境? というか、それは「私」の心境でもあるはずですよね? マッチは燃えてしまって哀しいかもしれない。もしかしたら燃えることができて嬉しいかもしれない。燃えないマッチの箱を見て寂しいかもしれない。……などなど、マッチになりきりつつ、でも元の自分の気持ちを忘れずに、マッチの心を書いてみるのです。
5.生きていないものを生きているように扱う(活喩)
マッチは燃えています。燃えているマッチは、たとえば「呼吸するマッチ」だと思いませんか? そのまま燃え続けることはできないので、燃え尽きるか消えるかしますが、燃え尽きたマッチって、「死んでしまったマッチ」だと思いませんか? こんな風に、生きていないものを生物みたいに書いてみるのも面白いです。物に心があるように書くこととはちょっと違います。
6.人間を物のように扱う(擬物化)
えーと、今度はマッチから離れます(笑)。再び「私」と「あの人」に登場してもらいましょう。「あの人」は冷たい(とします)。めちゃくちゃに冷たい(と仮定します)。どのくらい冷たいかとゆーと、「私」を人間扱いしてくれないくらい。ならば、本当にそのように書いてしまいましょう。普通なら人間に対しては使わないような言葉で書いてしまうのです。「あの人は田舎の古ぼけた農家に私を収納した」とか。
人間を物のように扱うのはよくないですが、実際に人を物のように扱う人は、今も昔も変わらずにいます。だとしたら、人を物のように扱って書く方法も、真実を伝えるひとつの方法なのだと私は思います。
5.表したいものを、その隣にあるものやくっついているものに置き換える(換喩)
次に、「あの人」を「あの人」以外の呼び名で呼ぶことを考えてみましょう。簡単に言うとあだなをつけるのです。あだなの付け方にはいろいろありますが、たとえばメガネをかけた人のことをメガネと呼ぶ、単純なあだながありますね。ああいうのも一種の置き換えで、比喩です。「あの人」はメガネじゃない。メガネは「あの人」にいつもくっついているものです。その、いつもくっついている「メガネ」で「あの人」を表す。こういう比喩は普通考える「たとえ」とはちょっと種類が違うので、比喩だと思わないかもしれません。でも、それと気づかないでわりと普通に使っていると思います。
6.表したいものを、それが属している集まりの名前で置き換える(提喩) (または、表したいものを、その集まりを代表するひとつのものに置き換える)
これはただ「こういう比喩もあるよ」ということで説明するだけです。覚えなくてかまいません。俳句では「花」と言ったら「桜」のこと。「小町」と言ったら「美人」のこと。あるひとつのものを集団名で呼んだり、集団を代表する名前で集団を呼んだりする比喩です。ある意味で、約束事の上になりたつ比喩です。
7.音や声や状態をまねてあらわす
鶏がコケコッコーと鳴く。実際に「コケコッコー」と鳴いてるわけじゃないのですが、日本人の耳にはそう聞こえるので「コケコッコー」と書きます。これも比喩です。これを書いてるいま、雨が「しとしと」降っています。本当に「しとしと」という音が聞こえるわけではなく、「しとしと」という音がぴったりするような雰囲気で降っているので、「しとしと」と書きます。これも比喩です。実際の音や雰囲気はそのまま言葉にはできないので、なんとなくそれらしいものに置き換えているのです。
という感じで、比喩の種類の説明は一応おわりです。
(昔の方が文章うまいじゃーん←かげのこえ)
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