紀元節
語解
- 2月11日。
- 戰前存在した祝日。戰後廢止されるも、建国記念の日として事實上復活。
雜説
畏くも神武天皇が橿原宮に即位あそばされた日とされる。神武元年(B.C.660)正月朔であるが、これを新暦に直すと2月11日になるといふ。
新暦に直したといふが、そのことにどれだけの意味があるのか、實の所良く分らない。B.C.660當時はグレゴリオ暦もユリウス暦も登場してゐないので、直す意義があるとは思ひ難い。
神武天皇は決して新暦の2月11日に意義を見出だされて登極された訣ではなく、正月朔に年改まつたのを期にいよいよ國を肇められたのである。支配人は、2月11日といふ日附には肇國に關はる意味は見出だし難いと考へる。
とはいへ、今更のやうに聲高に紀元節に異議を主張するつもりもない。他に適當な日がある訣でもないので、慣習的な日附として扱へば良いと思ふ。
附け加へるなら、近代日本が、帝國憲法を發布して近代的立憲主義を始めた日でもある。此方の意味では確實に「紀元」となつた日であり、銘記しておくべきであらう。