多言數窮について
題號
當サイトは多言數窮と號す。
題號の出典は老子第五章。以下に引用す。
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶槖籥乎。虛而不屈、動而愈出。多言數窮、不如守中。
讀み下せば、「多言しばしば窮す」となる。其の後、「中を守るにしかず」と續く。餘計なこと言うとるとえらい目に遭ふん違ふか、ええ鹽梅なところで抑へておいたらどないや、といふ具合に解釋すれば良いと思つてゐる。
撰んだ理由は推して知るべし。題號なんて所詮飾りである。偉い人には其れが解らない。
内容
當サイトは、oZ/acyの個人サイトである。
oZ/acyが氣の向くまま、あることないこと書き連ねていくサイトである。氣紛れで屡々サイトの構成や、注力する内容が流轉するが、氣にすべからず。どうせネットの世界はドッグイヤーである。
本当に訪問者が知りたい20の質問も參照されたし。
當サイトの文書に就いて
表記
本サイトでは、原則として正字及び歴史的假名遣を用ゐる。理由を以下に揭ぐ。
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正字を用ゐる理由については、漢字に關する論考に書いた通り、略字俗字を「正」と認めるに及ばないと思ふからである。漢字廢止を前提とした「當用漢字表」及び、其の後繼たる「常用漢字表」による漢字制限や、「同音の文字による書き換へ」による熟語の破壊は、即ち國語の破壊であり、之に從ふ謂はれなどない。
とはいへ、支配人は手書き文字に於いては手書き文字の正統に順ふのが筋であるし、メモを取る時などは略字俗字の類を使へば十分であると思つてゐる。活字と手書き文字は別物であるし、走り書きと清書は別物である。いつでもどこでも同じ字體を使はなければならない、などといふ幻想は殺されるべきと敢へて言はう。其の幻想に立つ「常用漢字表」は根本からして誤つてゐる屑のやうな代物であると斷ず。
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假名遣については、「假名遣に關する論考」で述べた通りである。
とはいへ、諸々の事情もあるので、例外も存在する。
人名は本人の使用してゐる通りにするのが本來と考へ、成る可くそのやうにしたいと思ふ。ただ、確認のしやうがない場合には、報道等で用ゐてゐる表記のうち、最も妥當と思はれるものを用ゐる。
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法令引用は、官報乃至法令全書を原典として倣ふのが本意であるが、便宜上支配人手元の六法に從ひ、確認出來たものについては原典に從ふ。
引用するとき、本則に從ひ修正を加へるか、面倒なのでそのままにするかは適宜勝手に決す。
皮肉、冷笑、嘲笑の意を含める場合に敢へて略字の類や「現代仮名遣」を用ゐることがある。
いづれの場合も、或る文字が電子計算機機上で再現困難な場合には、適當と思はれる字で代用す。
一々書くことでもないが、人間の遣ることにつき表記上の間違ひが殘存する可能性は之を排除せず。
なほ、古い文書には「常用漢字表」字體、「現代仮名遣」を用ゐたものがある。それらの修正は氣が向いたらするし、氣が向かなければ放置す。
著作權とリンク
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當サイトの各コンテンツの著作權は特に斷りのない限り、oZ/acyに屬する。勝手に複製することは之を禁ず。
殆ど著作と言ひ難い、簡單な資料的なものについては、註記した上で複製二次使用其の他勝手に行つて貰へるやうにする積りであるが、あくまでそれはoZ/acyの著作權者としての權利履行の一形態である。
法令詔勅を寫したもの等、法令上oZ/acyに著作權が認めらるることのないものについては、上記の限りに非ず。
著作権法で認められた正當な引用については、其れを阻む積りもないし、そもそも支配人は阻む權能を有せざるから、必要に應じて正當な引用をなされるがよろしい。
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リンクを張りたければ勝手に張られたし。問ひ合はせも事後報告も不要である。所謂ディープリンクとか直リンクとかいふものも別に問題とは思はない。
但し、フレーム内に當サイトの文書を表示せしめたり、當サイトで揭載してゐる畫像をimg要素などで取り込むのは單にリンクを張つたとは認めがたい。さういふ行爲に就いては、一應禁止させて頂く。
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バナーは以下のものを使用してよい。
Webを用ゐる以上、リンクを張る、張られることは前提とすべきことであるので、リンク禁止及び制限の類について支配人は一切留意しない。即ち其の類の注意書きは凡て無視する。あまりに頓珍漢なことを言うてゐる場合にはネタにして晒す可能性も排除しない。
内容に關する言ひ逃れ
當サイトの各文書の内容は正確を期すべく作成してゐると雖も、其れを保證することは困難であり、故に保證しないことにする。支配人は、當サイト文書を閲覽、參照したことによるあらゆる損害について責に任ぜず。猶、間違ひを指摘されれば、指摘が當つてゐる限り有り難く參考にさせて頂く所存である。