故實抄録 私事・行状 (平成14年)
1月乃至3月
データ消失
4月
4月10日 (水)
- 入學ガイダンスで吹田まで行くが、行く程の内容だつたか大いに疑問。
5月
5月24日 (金)
- 研究會用の論文を書くのに講義中内職してゐたとか云々。
6月
特記事項なし
7月
下旬に、研究會發表で濱松に行つたりとか研究室旅行で城之崎に行つたりとかしたが、記録を取らず仕舞ひ。
8月
暑いとか、ノートPCが欲しいとか、暑いとか、暑いとか竝べてゐた。日記らしいと言へばさうなのかも知れないが、大した意味も意義もない。
9月
9月11日 (水)
- よりにもよつて同時テロ1周年の日に、生まれて初めて飛行機に乘つた。
9月17日 (火)
- 支配人.age++;
9月21日 (土)
- 大家の代理と稱するが來て立ち退きを要求し補償の話やらをして歸つた。
9月26日 (木)
- 某講義のレポートの課題が未だに出ないとか云々。結局課題は出ず、從つてレポートは出せず、でも單位は出た。
9月29日 (日)
- 引つ越し先を決めた。
10月
10月1日 (火)
- TAをすることになり、學期の初つ端から仕事。尤も今日は視聽覺の設定をしただけだが。
10月5日 (土)
- 實家のPCのネット接續が怪しいといふので歸省。結局翌日CATV屋を呼んで機器を交換させたら直つたと云ふ莫迦らしさ。
10月11日 (金)
- 晝飯の時、吾人がおかずを一品余計に贅澤したやうやと陳述したあたりから、何故か某人の困窮は餘計な嗜好物 (煙草) を買ふ所爲であるといふ話になり、更にどんどん話が膨らんでいくのであった。本人は勿論その場にゐやしない。
10月14日 (月) : 体育の日
- 次の住處につき契約を交はして來たり、買物に行って散財したり、本當に久々に Windows 用のコードを弄つたりする。古いコードを保守するのが手一杯で、新しいのをなかなか書くことが出來ないのが不滿といふか何といふか。
10月22日 (火)
-
TAでウンザリした話。教授出張につき TA なる我は履修生に演習を遣らせてゐたが、ツールの使ひ方を大勢に説明しようとしたらば動かない奴續出で始末に追はれ、殘り半時間でなんとか説明を終へられさうと思ひつつあったときに今度はサーバが反應しなくなり、結局なんか散々であった。思ふにサーバの準備が出來てゐないことに昨日氣附いたあたりから怪しいことの連續であったが、ううむ。
御蔭で仕事は全然捗つてゐないのが、これまた厭な感じ。
10月25日 (金)
-
TA で来週演習させるのに使はうと思うて資料を書いてゐたら、一日潰れた(泪)。CAD のキャプチャ畫像をペタペタと流れに沿つて貼つて、ここを押したらかうなるとか、そこを押したらああなるとか、書いたのである。
こないだの演習がどうもさつぱりやつたから書かざるを得ずといふところであつたが、環境設定が惡い奴はこれを配つてやつただけでは駄目なのが目に見えてゐるのが恨めしい。1日潰しても給金に反映されないのも恨めしい。
10月28日 (月)
-
例によってミーティングのある日はろくな晩飯にありつけやしない。某君が攜帶に附いてゐるカメラで哀しい晩飯を寫してゐたので、支配人もデジカメで寫してみた。吾輩のみならず他人のまで寫したが、人物が寫つてない寫眞を試みに載せてみる。
さて、支配人の晩飯はどれでせう?
10月29日 (火)
-
TA といふ名のトラブル處理をしてゐた。疲れた。主なトラブル。
- GUI の表示がいかれてゐる
- 取り敢へずウィンドウマネージャを替へたら動く模様なのでさうさせる。
- コマンドがそもそも見つからず
- csh では駄目つぽいので tcsh を使はせる。そもそもは配布した環境設定用スクリプトが怪しいのであるが、書き直すのが面倒の上、tcsh の方がなにかと便利。言ひ訣といへばさう。
- LaTeX のスタイルが讀めない
- 要因不明。囘避方法はある樣なのでそれでなんとかして貰ふ。本音を言へばそこまで面倒見切れないが、かと言ふて無碍にも出來ない。
10月31日 (木)
- 分厚い本を持ち歩くのも厭なら一々検索かけて時間を使ふのも厭なので、std::map メモを書いた。儂以外が使へる代物かどうかは知らず。
11月
11月1日 (金)
- 風邪は本當なのか嘘なのかようわからん。忙しうて寢込んでゐる間がないことだけは確かなやうである。休日も返上の危機。
- 上記に關はらず、燒肉に行き、醉ひ、そのまま日附が變はるまで遊んでゐた。
11月6日 (水)
- 徹夜なんかするものでなし。わかつちやゐるが、追いつめられねば何もしない質なので仕方がないのかも。かといふて、これで一件落着安寧怠惰な日常復活といふわけにもいかず、當分休めないので厭と言へば厭になる。
11月7日 (木) : 立冬
-
英語で作文せねばならず、とりあへず大まかな方針までは諒承されたが、なんというても苦手なものの一つは英語であるに及びああどうしようといふか、本當にちやんと書けるのか氣が滅入る。
-
TA をしてゐる授業の關聯で学生から質問が來てゐた中から。
圖を貼つたけど印刷したら白くなつて仕舞ひますとかいふ、そんなの儂の知つたことかよ、そんな一般的な事項は儂の職分を逸脱してゐるやらうといふのがあつた。とはいへ知つたことか自分でなんとかしろと返事する訣にもいかないので、なんとかなりさうな遣り方を書いて送つて遣つた。
もう一つ、本題と關係のある質問をして來るのは當然であるのでいいのだが、どうしてさういふ状況になるのか支配人が推定するための材料を一切呉れずに、只かうしたらかうなつたけど、どうしたらいいですかといふ。尚、かうしたら、の部分に問題はない。仕方がないのでその人の問題になつてゐるファイルを見てみようとしたら、しつかりパーミッションが落とされてゐるので見れやしない。仕方がないので、さうしたなら上手く行く筈やけど困つたねえ、どうしても駄目ならソースを送つて頂戴とお茶を濁して返した。
11月12日 (火)
- 英作文、取り敢へず書けた分だけ上の人に見て貰はうと印刷して置いて來た。
- TA をしてゐる授業のレポートが山の如く提出され、これを一々採點するのは手の掛かることや、とか思ひつつも、給金を貰うた限りはせずばなるまいし、嗚呼やれやれ。取り敢へず來週になつたらやらう。今週は忙しきにつき無理。
- 書籍の類はだいたい荷造りしたのであるが、他に手が附いてゐないのでどうなる今週末の引越。まあなるやうになるやらう。
11月16日 (土)
- 引越を敢行。
- 早速新聞の勸誘が來る。鬱陶しい。取り敢へず、サービスすると稱して勸誘する以上、再販制度は新聞に於て不要であると思ふ。
11月22日 (金) : 小雪
- 20日より横濱に出張。某展示會の大學ブースで要は説明員をしてゐた。立ちつぱなしで疲れ、喉も何やら變な感じ。説明してゐる合間に企業ブースに行つて景品を貰つて來たりもしてゐたけど。
11月23日 (土) : 新嘗祭
- 英作文終了。
- 祝日にミーティングをやるうちの研究室は何か間違つてゐる。
- 以後月末まで風邪で寢込んだり。
12月
12月1日 (日)
- 今年もあと一箇月であり、そろそろ年賀状のまはりをせずばなるまいとか思ひつつ、いい着想がないので放つたらかしである。未年故、ドリーの寫眞でも見つけて來てお茶を濁しておかうか、とか。
12月4日 (水)
- レポートの山が机の上を塞いでゐるので、片附けるべく採點をすることにした。で、ペラペラと捲つて讀んでゐた訣だが……。他人を非難出來る程まともなレポートを出してゐた人間にあらずんば採點するのは實に辛い(^^; 現に實行してゐる採點基準で遣ると、かつての儂も大概な氣がする、といふか今書いても駄目な氣がする。自分が書けないレポートを學生に要求する採點者と云ふのも……。
12月5日 (木)
- 朝怠かつたので晝も過ぎて殆ど夕といふあたりで登校。打ち合はせがあつたのでまあ顏くらゐ出しておかうかと。さういふわけでろくな資料もつくらずに打ち合はせに臨む暴擧に出たが、割にすんなり終つたので目出度し目出度し。
12月8日 (日) : 眞珠灣攻撃記念日
-
冬は蜜柑。今日も10個餘り入つたのを買うて來て、あらかた胃に収めにけり。
因みに春は莓。夏は冷たい物を見境無く (とか書きつつ選り好みはする)。『枕』に擬して一文書かば詰らぬものが出來さうである。
12月9日 (月)
- 研究室の紀伊人が蜜柑を箱で持つて來たので、當分食べたいだけ食べれさうでありがたやといふ所。實は陽に土産なら蜜柑を箱でと手前勝手に要求してゐたりしたんやけど、内緒の方向で。
- 某人が Apple のノートを見せびらかせてゐたので、いよいよ物慾が大きくなる。しかし肝腎の資金は増えない。
12月11日 (水)
-
進捗發表の資料をカリカリとつくつてゐたら、何時も通りよくわからない資料が出來た。おまけに前の發表者が散々にやられてゐるのを目の當たりにして戰々兢々。結局取り越し苦勞で了。
但し、資料はとんでもないバグを保有したまま論議の擦れ違ひを呼び起し、終つた後で發覺するのであつた。
12月15日 (日)
-
物慾遂に顯現。即ち大枚はたいてノートを買へり。今年の春モデルらしく、比較的安かつたわけではあるが。否、安うないと買へぬ。
取り敢へず Linux とデュアルブートにすべくパーティションをいきなり切り直したりしてるわけで、この邊、亂暴といへば亂暴。そして、その Linux 入れるのに四苦八苦。かくなるわけで現状ではまだまだ使ひ物には爲つてゐない。
12月16日 (月)
- 結局睡眠時間を削つてセットアップの續きをしてゐる。取り敢へずここの更新位は出來る樣に爲つた模様。
12月19日 (木)
- 續ノートの設定。何より問題なのはメインのデスクトップとどうやつて繋ぐかまだ決つてゐないといふあたりか。クロスケーブルでも取り敢へず買ふとして、外部との接續をどちらで遣るかが問題。まあ、兩方で出來る樣にしておいて、必要に應じて、といふ風に爲りさうではあるが。
12月22日 (日) : 冬至
- 今になつてもノートとデスクトップがうまく繋がらないのが氣に入らない。むう。
12月23日 (月) : 天長節
- ひとつプログラムを組みたいネタが出てきたが、ろくに調べもせず休みは終はつて仕舞ふ模樣で我ながら情けなしといふか、なんといふか。それもこれもノート・デスクトップ接續問題が解決しない所爲である。にしてもどうしてかうも手古摺らなあかんのよ、全く。
12月25日 (水) : 大正天皇祭、クリスマス
- 打ち合はせでなにやらバグといふ報告を頂いたにつき調べたら……嗚呼何と云ふことか、バグやん……といふのがあつた。只の注意散漫に由來する過誤と云ふものだが。取り敢へず、他人が絡んで來つつあるのでソースの不備を直すのがやりにくくてしようがない。勝手に直して放つとく訣にはいかぬので。
12月28日 (土)
- 未明、年賀状表書き + 手書き部分完。
- 歸省。レポートと稱する紙の束を抱へて來たので重いに盡く。實際はキャスター附き鞄に放り込んでガラガラ引つ張つて來たのであるが。そんな體で紀伊國屋で讀本を探してゐたのは端から見れば鬱陶しかつたらう。今から歸阪するときの氣が重い。
- 天長節以來初めてテレビが點いてゐるのを見た樣な氣がして嫌氣がさす。まあ、この時期のテレビは詰らないけど。さういや新聞もろくに讀んでない。世の中にとんと疎く爲つてゐると思はでもなし。
12月29日乃至30日 (日・月)
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忘年會。晝前家を出て酒を買うて行くのはいつも通り。要は儂が呑みたいだけのこと。
會はこれまたいつも通りに終夜であつた。朝になつてもだらだら酒を呑んでゐたのは我ながら感心せず。酩酊してゐる覺えはあまりないのであるが。
何はともあれ、午過ぎに漸く歸路に就く。
歸りに中川まで乘つた電車の意匠が奇妙につきよく見れば、縣當局の遷都誘致の廣告の樣であつた。左樣な電車を走らせてみても誘致出來さうにないのが哀しいかな。
12月31日 (火) : 大晦日
- 朝から散髮、午からレポートの採點を少しして、後は適當に怠ける。夜は例によつて NHK で終始。