レヴュー: 『マキアヴェッリ語録』
諸元
- 著者
- 塩野七生
- 發行
- 新潮文庫 平成4年
- 收得日
- 平成20年9月10日
評
ニコロ・マキャヴェリは、所謂マキャヴェリズムの語源となつた人物である。本書は、彼の著作の中から、塩野女史が選んで來たエッセンス
を竝べたものである。
本書を讀んでまづ思ふのは、マキャヴェリは、支配する者、される者、それぞれに通暁してゐたといふことである。否、支配される者の觀點から、支配する者はかくあるべし、かくなすべし、と考へたといふ方が正確かも知れない。兔も角、その敍述は、人間といふものの心理を、よく理解してゐると素直に感心する。
政治家たるものは、否、政治家でなくとも、人の上に立つ者は、本書にせよ、他の書にせよ、彼の言論を一度は具さに檢討するべきである。讀まずとも、體得し、實踐し、成功するなら、それは構はないのかもしれない。しかし、讀まずにゐて、彼が爲すべからずと述べた所を爲し、爲すべしと述べたところを爲さず、結果として、己のみならず、一國を損ねるのは、爲政者として、大罪に値する。
『君主論』と邦譯される一書をものにしてゐるマキャヴェリであるが、彼の言説は、「君主」の語でまづ聯想される世襲君主の下ではなく、寧ろ、非世襲的に獲得され行使される權力の維持について、詳しく述べてゐるやうに感ずる。現代的議會君主制においては、大權に制限が加へられ儀禮的な事柄を引き受ける世襲君主よりも、その下にあつて實際に國務を總理する高官の方が、彼の言説の所謂「君主」に該當するケースが多いやうに思へる。それを踏まへて述べるが、讀んでいて頭をよぎつた一つは、昨今の我が國の中央政界の混亂である。色々な要因が絡んでゐるが、表層的な所を見るに、小泉純一郎は、マキャヴェリ的な觀點からして上手く振る舞つてゐた印象である。飜つて、安倍晋三や福田康夫は、どうも逆のやうな氣がしてならない。マキャヴェリは、格好だけでも民衆の歡心を買ふことの大切さや、爲政者が輕蔑されることの危險性を述べてゐるが、後二者は、その點が全くなつてなかつたといふのが評者の印象である。
社会的な存在としての人間がどういふものか、といふことについて知るためだけでも、本書はとても示唆に富んでゐる。人の上に立つ積りがあるなら勿論、さうでなくても、讀んでみるといいと思ふ。
註
以上、平成20年9月19日記す。
平成20年12月22日、一部を修正す。