故實抄録 私事・行状 (平成15年後半)
7月
7月29日 (火)
- 近所の本屋に行くと今更な感もある米によるイラク要人手配トランプを賣つてゐたので、取り敢へず入手。その脇に小林よしのりの「戦争論3」が積んであつたのがいとをかし。此方は買うてないけど。
8月
8月2日乃至3日 (土・日)
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研究室旅行で舞鶴、若狹方面に赴く。
初日は舞鶴の煉瓦館と引揚記念館、高濱の電力會社のものと思しき科學館などに行く。煉瓦館はその昔は海軍の魚雷庫やつたらしい。
二日目は各所の佛閣にお詣りしたり觀光船に乘つたり。初日の晩に少々酒量を越して二日目の朝の目覺めは最惡であつた。せやからいうて次から氣を附けることは多分あるまい。
8月6日 (水) : 廣島原爆忌
- 某友人に確認したいことがあり電話をする。本件は直ぐ濟むやうなものであつたが、その後何故か延々ガンダムネタに走り、種の惡口で盛り上がつてゐたと思ひ給へ。他に例に違はず共通の知り合ひの評もしたが、具體的内容は省略。
8月7日 (木)
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研究室の祕書さんの送別と稱して皆で飲み食ひをしたので食ひ過ぎの上醉つ拂ひになり甚だ苦しいのは自業自得。重ねて言ふが、せやからいうて次から氣を附けるとか控へるとかいふ考へはない。 (【後日註】此の頃は未だ編集時點 (平成19年11月) よりも色々強かつたらしい。)
その後歸宅して殘暑見舞のコメントを書いてゐたのであるが、字は蚯蚓の這うた樣な出來で、内容も支離滅裂。
書き終へてさて寢ようと思へば、飲み過ぎの所爲か頭痛が非道く横になれなかつた。横になつた方が痛くて苦しいといふのが奇怪。仕方ないので藥を飲んで大人しく坐つてじつとしてゐたのであるが、當然乍らろくに寢られず甚だ面白からず。
8月9日 (土) : 長崎原爆忌
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歸省。途中色々と散財。16乃至17日までは田舍にゐる積り。
實家の WinMe が壞れたといふので上からインストールして取り敢へず使へる樣にする。面倒やつたのでバックアップ取つてクリーンインストールなんかしてない。Me なんて最高に駄目駄目なんやから 2k 邊りに變へた方がいい氣がするのが事實であるが、自分の機體でもないのにわざわざ手間と金をかける氣にならない。等と色々書いたが、俺以外管理出來ない現状が一番間違うてる。 (【後日註】この状態は基本的に全然變はらない。困つたものである。)
-
確認の取れざる一箇所を除き殘暑見舞を發した。
8月12日 (火)
- Smith氏及び伍長閣下とバトルロワイヤルIIを觀たり拉麺を食したり本屋を冷かしたり莫迦な會話をしたり。歸宅してからは何故か睡魔に襲はれたので寢てゐた。
8月14日 (木)
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盆であるから祖父方でくだを卷いてゐた。大した飲み方もしてゐないので、大した醉ひ方をした訣ではないが。それにしても雨は降るは氣温は低いは、妙な感じの盆である事。
念の爲に書いておくが、盆の本意はくだを卷くことではなく御先祖樣を供養することである。吾輩は別に單に飲んだのではなしに、拜むべきものを拜んだ上、有り難く恭しく御先祖樣や親族一同と共に酒食を共にしたといふべきである。只の言ひ訣。
8月15日 (金) : 敗戰の日
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朝、Smith氏と護國神社に參拜。參拜後、神社に展示されてゐた戰歿者の遺品を拜見してゐたら、同期が特攻で戰歿されたといふ方とお遇ひした。8月15日たる今日、日本人たるものは、國家が如何に愚な戰を試みたと雖も、それはそれとして、國家國民の爲に倒れた御靈に頭を垂れて然るへしとしみじみ感ずるものである。取り分け、國家を預かる爲政者なれば、國民の範たるべし。
その後、晝飯を喰うて名張に歸り來る。あちこち廻つた後、Smith氏の愛犬で遊ぶ。成程犬を可愛がるのはよう分るが、自分で飼ふ程好きかと言へばさに非ず。他人の飼ふ犬に道を歩くだけで吠えられると頭に來るし、犬の散歩に鉢合はすのも好きではないし。
折角某氏が電話を呉れたのに既に歸りの電車の中であつたのは、實に殘念で、申し訣なかつた。豫め電話を差し上げるべきであつたと後悔。
夜はSmith氏に、ほか2名を加へて飲む。隨分をかしな話をした樣な氣がする。醉うたといふより喋り疲れた。一つ非常に災難であつたのは、3月8日の件についてうかと口を滑らせた事。餘計な詮索をされるのは全く以て堪らない。
結局、口は災いの元といふことらしい。
8月20日 (水)
研究室で例のMSBlastだかの感染疑惑發生。早速犯人搜しが始まり、結局複數感染してゐることが發覺。幸ひ吾輩の管理下の PC は平氣やつた模樣。兔も角、疲れた上歸宅時間が遲れたので、かういふ騷ぎは勘辧して欲しい。
夏バテは終熄の方向にはあり。でも暑さにはもううんざり。歸宅した時の家の中の蒸した空氣がなんとも厭な感じ。
8月23日 (土) : 處暑
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歸り來たる後、地元の夏祭に託けて結局4名程を招集。取り敢へず暫くその場にゐたが、吾輩獨り飲み食ひに明け暮れてゐた感あり。
その後腹ごしらへをした上で (尤も吾輩は腹ごしらへする必要なかつたが) もう1人加へてカラオケに行く。吾人の一曲目で約3名が場を去つたのは、飲物確保の爲と雖もさう氣分のいいものではなかつたが、總じては、いつもの手札は一通り切つたし、試したい奴は試したし、他人のネタは聽けたし、で結構滿足であつた。
8月25日 (月)
- 院試1日目。英語の筆記。問題が問題なので解答も解答であつた。取り敢へず疲れたものの、明日は面接なので氣が拔けない、筈。
8月26日 (火)
- 院試2日目。朝から口頭試問。取り敢へずプレゼンは駄目乍らもそれなりにやつたが、質疑は何かいまいちであつた。場の雰圍氣が險惡でなかつたのが救ひと言へようか。取り敢へず、結果待ち。
9月
9月13日 (土)
- 土曜出勤。ミーティングの席を温めてゐただけであるが、それでも面白からず。
- 終つた後歸省。道中も面白からざる事ばかりあるにつき、苛つくことしきり。吾ながら何とも氣の短いことと思ひつつも、苛つくものは苛つく。
9月14日 (日)
- 朝、散髮に行く。
- 晝から、再び壞れた實家の PC の窓の再インストール。結局クリーンインストールする羽目になつて、データが飛んで仕舞うたが、そんなこと儂の知つたことぢやない。
9月17日 (水)
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俺.age++;
また一つ歳を取つてしまうた。この歳になると嬉しくもなんともない。却つてがつかりである。
9月21日 (日)
- 運轉免許の更新に赴く。
10月
10月11日 (土)
- 論文のチェック待ちの間に雜務、他人の作業の邪魔、雜務の繰り返し。漸く日附變更前にチェック濟みのが戻つて來たので恭しく戴いて歸宅。夕食の附け合はせに今季初の肉まん。
10月13日 (月) : 体育の日
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色々したいことはあつたが、混沌としてゐた机の周りのエントロピー低下に着手した結果、それ以外何も出來ず仕舞ひ。口惜しや。
寢る前に本來しようと思うてゐたことに手をつけてみたが、つけてみただけ。眠いのでもう寢る。
ハッピーマンデーの御陰か、體育の日といふ氣がしないのは儂だけであらうか。どうでもいいけど。どうせ運動なんかしやせんのやから。
10月19日 (日)
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flex と bison で遊んだあと、訣の分らないファイルを整理したりしてゐたら、結構な時間を費やして仕舞うてがつかり。したいことは山程あるといふのにねえ。せねばならんことも山程ある氣がするが、それは休みの日には考へないことにしておく。
實のところ、數年前まで當サイトのネタにしたか、しかけたかしたものを再び引つ張り出してデータ化しつつあるのだが、分量の多さと、新鮮味の缺片もないあたりで困つてゐる。どうしたものやら。
10月21日 (火)
- やうやく論文を發送して一區切りついた。しかし、仕事は矢張山積みで厭になる。
10月27日 (月)
- 今日は他人の研究の進捗報告を聽いてゐたが、吾ながらやたら五月蠅く質問やらコメントやらしてゐたので、次囘自分が報告するときが恐ろしい。
- 阪神が優勝出來なかつた憂さ晴らしに殘念會をするべく研究室の數人に話を振り、たぶん今週中の何時かにやることになる筈。飲みか歌かのいづれかが相場であるが、今囘は話の感じからすると唄ふことになりさう。
10月30日 (木)
- 殘念會決行。最初から冷酒を干し、あとはダラダラのんでゐたが、最初に飛ばすと世界が囘ること囘ること。その後二次會でカラオケに行き、適當に唄ふ。
- その以前は全くついてゐない一日であつたこと。靴の紐が切れるわ、うつかりファイルを消してバックアップテープから恢復するのに四苦八苦するわ、おかげで作業は進まないわ。もう厭。
11月
11月2日 (日)
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Smith氏、伍長閣下、ヤン氏の三氏と、Smith氏宅でDVD鑑賞會。
午前の部はヤン氏を除いた三人であずまんが大王を。キーワードは「大阪たんハァハァ」。
午後の部はMATRIXの第一作、第二作を連續で。スミスがワラワラ等なかなかよかつたが、流石に目が疲れた。
鑑賞會終了後はヤン氏は歸り、殘り三人で飯を喰うたり、本屋に行つたり、Smith氏宅に戻つて何やらしたりしてゐた。Smith氏宅では兩氏は朱鷺乃タンで遊んでゐた。その横で吾人はこの日記を打つてゐる。なにか間違うてゐる。
11月3日 (月) : 明治節
- 不在者投票に行く。公言出來るのは、自か民かどちらかに入れたといふことだけ。他に入れても仕方ないもの。まあ、あとは來週末の開票を樂しみに待つといふ邊りか。
11月6日 (木)
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歐洲の研究所の偉い人が來て話を聽かせて呉れるといふことで、會場の準備と講義の撮影の監督を仰せ附かつた。
B4 を1人カメラマンとして宛つて貰うて、一應上手いこと撮影してくれさうなことを確認した後は、そちらはほぼ丸投げ状態。一應先方がお見えになる前に、プロジェクタとオーディオのセッティングでトラブらないことを確認。TA やつてたときに數囘トラブつて授業をしてゐる中をうろうろしてゐたこともあつたので、其の邊は入念に。
後は、先方がみえて、まづ、うちのゼミ室で2人ばかりがうちでやつてることを喋つて、それから會場に移つてお話を拜聽。
終つた後、會場を閉めて歸つて來たところでもう眠いは頭が少々痛いはで仕事になりさうにないので、學食で輕く晩飯食べてから歸宅して牀に就く。今少し起き出してこれを書いてゐるが、まだ眠いので、書き終はつたら寢る積り。
11月7日 (金)
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昨日は講義の撮影をさせられたが、今日はダビングをさせられた。仕方ないので、TVの置いてあるゼミ室にノートを持ち込んで、ダビングしつつ自分の作業を竝行してやつてゐた。無論、効率のよくなる筈のない訣で。とかく今週は割り込みが多過ぎる。
結局、明朝の打ち合はせの資料をつくつてたら、一日が終つて仕舞うたので、なんかいまいち氣に食はない。一應或るものの仕樣書なので、分量が多くてチェックと修正に手間のかかること。あと、それだけでは議論にならんので、仕樣書の問題點と、考へられる對策と、仕樣改訂要求とをピックアップした資料を一枚用意した。
明日の午後もミーティングであるが、こちらは取り敢へず書いた進捗報告を、同じグループにカテゴライズされている某君に渡して、要は最終的に丸投げ。だつて眠いんやもの。
11月8日 (土) : 立冬
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朝から打ち合はせ。晝からも打ち合はせ。その後飲み會。麥酒を飲むのはだるかつたので、日本酒だけ飲んでゐた。
研究室備へ附けの學科事務室の鍵がないと騷いでゐた。よく考へると、儂が最後に使うたらしい。案の定といふか、家に歸ると床に件の鍵が轉がつてゐたから厭になる。
11月9日 (日)
- 外祖父の四十九日にて法要に出向く。天氣の惡いのがどうにも氣に入らぬ。昨夜の酒の所爲か頻尿のきらひ。別に他はなんともないのであるが、こればかりは何とも快からず。
11月13日 (木)
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人につくつて貰うたコードを自分のコードに組み込みつつあるが、結構バグが混入してゐるので、直す、報告メールを書く、の繰り返し。
でも、動いてるつて言うてたよな。これで動いてゐるといふのが儂は少々解せないんやけど、と、これは只のぼやき。
11月15日 (土)
- 冷蔵庫の中で只のゴミと化す前に野菜を處分、もとい、食べようと、適當に切り刻んで、鶏も放り込んでいい加減なスープをつくつたが、唐辛子を刻んで放り込んだのが裏目に出て少々情けない思ひをしつつ食す羽目に。
11月28日 (金)
- 本學總長に就任された本研究科教授の教授退官記念講演を市內某所で拜聽。
12月
12月5日 (金)
- 朝から打ち合はせ。俺はVisitorパターンの解説をしてゐた。何故かといへば、俺が勝手に使うたからである。しかし、GoFのデザインパターンの解説を今更わざわざ俺がする目に遭ふとは思はなかつた。別にいいけど。
12月12日 (金)
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輪講の當番故、助手が讀んどいたらと曰うた論文をネタに發表せり。その論文の書き樣がなんか結構好い加減やつたので、儂の發表もそれに輪を掛けて好い加減。
とはいへ議論の叩き臺には格好やつた樣で、發表の出來はともかく、議論はそれなりに面白くさせて貰うたといふ感じがした。
12月27日 (土)
- 詰らない玩具を見つけて遊んでゐたら、修論用のコードに手を入れようといふどころではなくなつてしまうた。駄目な癖が出た。まあ、今更なので諦める。
12月28日 (日)
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研究室OBとの忘年會 in 京都河原町。
早めに行つてあちこち冷かして見て囘らうかと思ひ、さうしたが、土産やらなにやらを買うて、喫茶店で時間を潰して、さて、まだ早いや、と、身に覺えのあるパターン。遲れるよりはいいけど。
忘年會自體は樂しいひとときを過ごせてよう御座いました。
12月30日 (火)
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朝飯を喰うてゐたら、冬コミに行つたSmith氏らより電話。こつちは起きたばかりの上飯を喰うてゐてテンションなんてまるで低いのに、あつちは既にハイテンションな樣子で、取り敢へず話を合はせておいたが、少々氣疲れしたといふかなんといふか。別に惡い氣がした訣ではないが、苦笑ものであつたのは確か。
祖父宅で餠つき。いよいよ年末といふ感あり。輕く酒を口にして、餠をつくのを眺めたり丸めたり食べたり。今年はほんの儀禮的に數囘ついてみたが、ひと臼つくのは非力な吾人には無理故、弟に後を遣らせた。兔も角、今年ももう終るといふ當然な事實を、かうして感じることが出來るのは、愉し。
歸宅後暫く「冬休みの宿題」をして、晩飯を食うてゐたら、再びSmith氏から電話。一日に二度も食事中にかけてくるとは、なかなか命中率がいいやうで、此方としては苦笑ひするより他なし。
12月31日 (水) : 大晦日
- Smith氏らと忘年會。戰利品の分け前を受領した後、何故か最後の晩餐の故事の眞似事から始め、色々變なものを照覽し、曙の見事な負けつぷりを觀、なんとか年が變はる前にお開き。最初から最後まで何がもう何だか。