故實抄録 戲言・獨語 (平成15年)
1月
1月14日 (火)
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省廳の名前につき、吾人ならかう附けるのにといふところを述べる。懷古趣味的ではあるかも知れない。
- 内閣府
- 判りにくいと云ふか、なんといふか。昔の總理府の方がまだまし。中務省を引くとするならここか綜務省かどつちであらう。どつちも駄目?
- 綜務省
- まあこんなもんかといふか、他が酷いのでまあ。
- 法務省
- 司法省でも刑部省でもいいが、この際どうでもいい。
- 外務省
- 直しやうがない。色々な意味で。
- 文部科學省
- 文部省。「文」には當然科學の意も含まれるべし。
- 國土交通省
- なかなかむづかしいが、昔あつた工務省なら割としつくり來るやうな氣がせでもなし。
- 厚生勞働省
- 厚生、民部、或は内務。警察力のない内務省はちと變な感じがするかしらん。
- 財務省
- 律令制からの大藏省で別に構はないと個人的には思ふ。
- 環境省
- まあ他に附け樣がないはな。
- 防衞廳
- 何故省にしないのか絶對意味不明。防衞省、國防省、或はレトロに兵部省とか。
- 經濟産業省
- 通商産業省から何故變へたんでしたつけ。只、どちらも長いので、これまた昔あつた商務省位が適當な長さかと。
- 農林水産省
- 變はつてないが、長いよねえ。農務省だけでもいいやうな、惡いやうな。かといふて、食料省といふのも味氣ないので厭。
1月22日 (水)
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「人名漢字」追加について。「人名漢字」を追加するらしいが、結局のところよう判らん基準で制限するのに變はりがないといふ點、子供騙しの延長に候。人の名前くらゐ勝手な字を使はせろといふのである。人名漢字表も常用漢字表も無用。
2月
2月11日 (火) : 紀元節
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紀元節について。
紀元節のいはれは申し上げるまでもなく、畏くも神武天皇が橿原宮に御即位あそばしたのが神武紀元元年正月朔日で、この日を今の太陽暦に直すと西暦紀元前660年2月11日といふことである。實の所インチキもいいところである。明治6年に太陽暦になるまで、暦は何度も變更になつてゐる訣で、つまりは神武元年當時の暦がわからぬでは新暦に比定するも何もない。聞くところではどうやら「初めて」採用された元嘉暦で算出したらしいが、本當かどうか知らないし、元嘉暦そのものの成立が支那南北朝時代の5世紀である。なほ、太陽暦改暦後、紀元節の日附が一度變更されてゐるといふ言ひ掛かりもあるが、そちらは、太陽暦に改暦された明治6年は舊元日たる1月29日に紀元を祝ひ、その後に明治6年太政官布告第344號で2月11日に設定されたといふ事情らしい。
インチキと貶したものの、個人的には肇國が神代の昔に遡る本邦においては合理的建國記念日など望むべくもなしと思ふので、現状肯定で構はないと考へる。
2月18日 (火)
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巷の六法全書について。
本屋に行つた序でに六法の新しいのを買はうかどうしようかと思ひ、取り敢へずパラパラと捲るが、揃いも揃つて憲法の題名からして漢字が略字なのはどうなんやらうと怪しむ。假名遣ひに迄手を入れた強者は未だ見た事がないが、どういふ訣なのか訣が分らない。取り敢へず冒頭からこの調子では引用するにも氣分惡しにつき買ふのを止めた。
實家にあつた昔の奴は明治憲法を正字で印刷してあつた記憶があるが、最近のは明治憲法すら略字で印刷するのでいよいよ使へやしない。ただ、その古い六法にしても昭和憲法が略字で印刷されてゐたことに變はりない邊り、五十歩百歩である。
吾惟ふに左翼諸兄は屡々昭和21年憲法を不磨の大典の如く曰ふのであるが、どこかの革命同志が憲法の改竄に憤りて出版社を襲撃したとか、文句を言うたとか聞かないのである。邪推するに改竄された後のしか見た事がないんやらう。名張の圖書館の現行法令集の棚を少し調べただけで判ることをすら知らない癖に、平和憲法改惡反對といふのだから大笑ひするより他なし。取り敢へず現憲法が氣に食はないと思うてゐる吾輩でも中學生の頃から斯樣なことくらゐ知つてゐる。否、氣に食はないから知つてゐるといふのが正しいのか、俺の場合は。
閑話休題。知つてゐて改竄が當然と云ふなら、ひらがなをカタカナに改竄するのも勝手な筈なので、事情に依つては次の樣な文章にしても構はないのやも知れず。
- 憲法第九條カタカナ版
- 日本國民ハ、正義と秩序ヲ基調トスル國際平和ヲ誠實ニ希求シ、國權ノ發動タル戰爭ト、武力ニヨル威嚇又ハ武力ノ行使ハ、國際紛爭ヲ解決スル手段トシテハ、永久ニコレヲ放棄スル。
- 前項ノ目的ヲ達スルタメ、陸海空軍ソノ他ノ戰力ハ、コレヲ保持シナイ。國ノ交戰權ハ、コレヲ認メナイ。
さう言へば、漢字は平氣で改竄するのにカタカナをひらがなにしないのは何故なのでせう? 個人的には、讀み易さを云ふなら漢字を改竄するより假名を直す方が餘程效果があると思ふんやけど。試みに民法より。句讀點を插入すればもう少し讀み易くなりさうではあるが、句讀點の入れ方で文意が變はることがあるので、確實さうなところにだけ入れてみる。
- 民法第五條平假名版(平成16年12月2日法律第147號により口語化される前のものを對象とした)
- 法定代理人が目的を定めて處分を許したる財産は、其目的の範圍内に於て未成年者隨意に之を處分することを得。目的を定めずして處分を許したる財産を處分する亦同じ。
ええと何を書かうと欲したのか。取り敢へず吾輩が引用するときに原典通り再現出來ないのは厭なので、原典通りの用字の六法を手頃な値段で出版しなさい。法令文書を勝手な基準で改竄して憚らない無神經な連中がよりにもよつて法令を參照するための印刷物で飯を喰うてゐるのは莫迦莫迦しい限り。
3月
3月5日 (水)
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讀賣新聞に對する文句。題して「困つた讀賣」。
讀賣のサイトのお知らせ、
リンクは原則として自由
とかいうておいて、其の直ぐ下で聯絡せよとはどういふ訣か? 意味不明であるが、その後延々リンクするなするなといふ調子の文章があるので、自ら述べたところの原則なんかどうでもいいといふことやらう。そんなにリンクされたくないなら web を使ふなといふに。餘り茶々を入れると名譽毀損とかあらぬことを云はれるのでもう一言だけ、読売新聞社のウェブページにリンクしていること自体を営業の手段にしないでください
といふのには最早開いた口が塞がらないといふかなんといふか。【後日註】上で論つてゐる箇所、年月を經て變はつてゐるが、敢へて文章を書いた當時のままにしておく。惡しからず。
3月27日 (木)
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選擧に託けた駄辯。
統一地方選のうち知事選擧が告示。鳥取では無投票再選。尚、知事選無投票は21年ぶりの椿事らしい。都知事選は石原現知事對その他大勢、三重縣知事選は元松阪市長對縣綜務局長でおまけが2人、でええんやつけか。
選擧になるとよく市民が主役とか、國民が主人公とか、好い加減なことをいふ人が、特に左翼に多いが、主役とか主人公とかが大勢澤山ゐたのではまるで訣が分らない。主役は一人で充分である。かういふ言葉を使ふ莫迦たれは信用しないのがいいと個人的に思うてゐる。さう思うてゐるところに都知事選に出てゐる小母さんがいきなりさういふことを云ふので此奴駄目駄目やと思ふのであつた。都民ぢやないからどうでもいいけど、あの面子なら現職が一番増しやわな。選擧權を持つてゐる三重縣知事の方は、もう少し模樣眺めを致す所存。例へ決めてもサイト上になど書きやせぬが。
4月
4月12日 (土)
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投票についての存念。
選擧に際し、試みに支配人的選別手順といふの述べてみる。
先づ、今囘の選擧は縣知事や縣會議員の選擧であつて、國會議員選擧ではない。從うて、終りかけのイラク戰爭反對とか言はれたところで、論點のずれたことをいふんぢやないと一蹴するより他なし。
「市民」とか「市民派」といふ言葉を好んで使ふ奴は胡散臭いと思ふので、却下。無論、市長・市會議員選擧なら市民といふ言葉が出て來て當然なので別にそれは構はないが、今囘は縣知事・縣會議員の選擧である。
やたら滅多親近感を煽られても當惑するのみ。
同樣に、やたらクリーンであることのみ強調されても困る。吾惟ふに、藥にも毒にもならない善人より、劇藥たる大惡人こそ政治家には相應しい。無論、國家公民を食ひ物にするだけに專念する樣では困るんやけど。
駄目な奴を削つたところでこれと思ふのがゐればその人に入れる。何奴も此奴もさつぱりなら、一寸でも増しな奴に入れる。取り敢へず投票だけはする。投票もせずに文句をいふのは餘りに勝手である。
4月17日 (木)
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TVについて。
子供に見せたい・見せたくない番組のアンケートなどをしてゐる樣であるが、TV自體子供に積極的に見せていいものなのか非常に怪しい。まあ、全然見せないでおくと今度は免疫が出來ずに問題が發生するかも知れないけれど。
4月28日 (月)
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統一地方選擧後半戰について。
旅田某がトップ當選といふのに驚き呆れ、知り合ひの紀州人に話を振つたらなんか憤慨してゐた。大野某が當選といふのは驚きはしないが大騷ぎして首にした結末としては締りが惡いと思ふ。
とはいへ、結局の所は他人樣の國のことなので, 勝手にして呉れといふのが結論。
5月
5月3日 (土) : 憲法記念日
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憲法記念日に思ふこと。
昭和憲法施行記念日につき、原典の用字に倣ひ憲法をHTMLにしてみる。完全な再現は電算機の制約上困難であるが、巷の六法よりは増しであらう。
それにつけても、寫すにつけ、文章の拙さが厭になつてきた。口語化した癖に舊來の漢文書き下し調が屡々頭を擡げるのが實に奇妙といふか、氣持惡い。これを經典に崇める人々の感性の程を思ひ知る。少くとも、文章に關して尋常の感性はないであらうと邪推す。
抑も有事に對處するのが國家の存在理由の大きな一部であるに、何も觸れてゐない昭和憲法は出來損なひである。而も、意圖して出來損なひにしてあるから尚惡質。出來損なひの癖に改正要件が嚴しいと來てゐるのでまう最惡。
10月
10月12日 (日)
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折角?衆議院が解散されたのでそれに觸れる。政權公約だのマニフェストだの、言葉遊びが早速始まつてゐるが、用語より内容、内容より遣る氣、遣る氣より實行可能性とその豫定される效果が問題である。實行可能性を考へれば、亂暴ではあるが取り敢へず大きい處2つを殘して後は無視しておいて構はない筈。後は、2つについて各々どう效果を見積もるか、といふところだが、そこは吾輩がこんなところで述べるべきことに非ず。選擧は自由で祕密なものである。
幾ら考へても話を聽いても選挙弘報を讀んでもどうしやうもなかつたら、小選擧區と比例とあべこべに書いて入れればよい。大體半分半分になる筈である。決して棄權だけはしないやうにすべし。別に吾輩がかうすると言ふ話ではない。入れるのに困つたらかういふ方法もあるといふ冗談である。
【後日追記】ただ、これだけは附け加へるが、選擧で投票をせずにゐれば、困ることになるかも知れないのは投票しなかつた當人であつて吾輩ではない。投票に行かないのは白紙委任と同意であり、増税されても、年金が貰へなくなつても、兵役にやられても、文句を言ふ筋を自ら閉ざすものであることだけは指摘しておく。
10月14日 (火)
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韓國の大統領なんてのは、辭めたら逮捕されて死刑宣告されてみたり、在任中は敵に金を貢いで賞を貰うてみたり、身內が瀆職で御用になつたり、兔に角ろくでもないのが雁首揃へてゐる。
今回のも、よくわからんが國民投票で信を問ふとか言ひ出す始末なので、端から見てゐて實に落ち着きのないところであると覺ゆ。
11月
11月3日 (月) : 明治節 / 文化の日
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今日は「文化の日」であるが, 元を辿れば畏くも明治天皇の御誕生日(嘉永5年長月22日、新暦に換算すると11月3日)にあたる明治節である。
「昭和の日」案といふのがあるが、明治時代が現在の日本政府の礎になつてゐることを鑑みれば、「明治の日」案もあつていい。誰かやらんかねえ。文化の日では、何故11月3日が文化の日なのかよく分らぬ。
尚、昭和憲法の公布も明治節である。支配人がどこからか聞いたところでは、當初は紀元節施行を狙つてゐた(さうなると公布は8月11日にすることになる)が、審議が延びたので、明治節公布で落ち着けた模樣。この經緯がある以上、左翼が憲法公布を「文化の日」の根據にしても、いまいち迫力が足らぬ。
11月10日 (月)
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第43回衆議院議員總選擧が終つて思ふこと。
ざまみよ、と思ふのは土井社民黨首。比例で首の皮だけはつながつたけど。
山崎拓はスキャンダルそのものより、處理の仕方が拙かつた。吾輩は清廉潔白なんぞ爲政者に求めてゐないが、トラブルの解決能力といふ點で落選やむを得ずといふしかしようがない。でも、勝つた相手がメディアのインタヴューで威張つて見せるのは何か勘違ひしてるとしか思へず。(【後日註】案の定と言ふか、此奴は此奴でスキャンダルで辭めたし。嗤ひ。)
田中眞紀子、あれのどこがいいんか儂には意味不明である。あれが何か役に立つことやつたかと言うたら、あの北海道の熊と差し違へた位やらう? あの邊りにはインテリジェンスといふ點で難のある人が大勢ゐますか、とか書いたら吾輩の人格を疑はれるのでやめとかう。
民主黨が出した閣僚予定名簿、全部見てはゐないんだが、小澤はいいとしても、田中康夫を持つて來ようとするあたりのセンスが一寸駄目と思ふ。
取り敢へず、今囘小泉は珍しく先手を取られたといふか、相手の土俵に乘るといふことをやつたわけであるが、わざとなのかミスなのかどちらでせうか。わざとといふなら、黨内抵抗勢力をとつちめる爲に敵を利用した、といふことであるが、その邊りどうなつてゐるのか未だ分析してないのであつた。してる暇ないし。
日共がいつも通り負けた癖に強辯張るまでは赦すが、國民が自分の味方みたいにいふのは氣に入らない。まあ、社會主義といふのは一種の宗教みたいなもんなので、仕方ないか。
取り敢へず、比例代表を止めて呉れ。せめて議席數の割當を減らして呉れ。某學會の政黨が生き殘つてゐるのは、絶對、比例の所爲である。小選擧區だけなら悲慘なことになつて、ざまみよと書けたに違ひない。
11月15日 (土) : 七五三
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平壤當局の連中が吾等が大日本をどう呼ばうとも、勝手にしやがれといふ氣分。島國には島國の意地があり、誇りもある。たかが支那の尻尾の分際で。島國呼ばはりしたことに對する禮は應分にさせて頂かうではないか。大體島國のジャップの殖民地にされてゐた間拔けは何處の誰ぢや?
民主的でも共和制でもない、否、國家承認すらしてゐない地域、或は地方非合法政權とでもいふべきものを「朝鮮民主主義人民共和国」と呼ぶなどは、愚此處に極まれりといふべきものなり。とかく平壤、北京のご機嫌を伺ふ傾向のあるメディアは、宜しく猛省せよ。
惰弱な我が政府は、直ちに平壤當局が吾等の足下にも及ばざることを思ひ知らせるべく、徹底した經濟的打撃を與へる爲のあらゆる措置を執り、或は何時でも執り得るための制度を準備すべし。大體、國民攫われた時點でドンパチやるのが本當やらう。何のために税金拂うてると思うてるんや? 攫われたときに指銜へて傍觀させるためでないことだけは確かの筈やのに、現状さうとしか思へないのがなんとも情けない。
11月23日 (日) : 新嘗祭、小雪
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「勤労感謝の日」といふ名稱はどうにも氣に入らない。マルクス主義の臭ひがする。少くとも唯物主義的である。
国民の祝日に関する法律における趣旨説明書きも隨分である。曰く、
勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
とのことである。冗談ぢやない。人間如きがそんなに偉いものか。冗談にしても笑へない。少くとも、本來五穀豐穰を神々に感謝するものである新嘗祭を、こんな莫迦げた趣旨にすり替へるなど、烏滸がましいにも程がある。こんなことをやつてゐるから、傲岸不遜な利己主義のド阿呆が大量生産されて、國が危機に陷るんやと、吾人は思ふ。
12月
12月7日 (日) : 大雪
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イラク派兵問題に關し愚考すること。
兵隊が機關銃を携行することがニュースになるんやから驚き呆れる。自衞隊はゼネコンではない。自衞隊派遣に兔に角反對を唱へる人々は、何を考へて反對するのか。眞に兵隊のことを心配してゐるのか。さうではあるまい。自衞隊そのものに反對で、それが何かするからいよいよ氣に入らないだけやらう。
日本は既にイラクの問題に首を突つ込んでゐる。今から引つ込めることなど無理である。身を守れない者を再び死地に赴かせるのがいいことなのか。軍隊、軍人兵卒はその命を以て任務に當るものである。それを活用するのがまだしも良策ではないのか。
斷つておくが、メディアの論調と逆であることは認識してゐる。否、逆であるから書いておかねばならぬと思ふものである。
悍ましい事件に戰き首を引つ込めることの出來ぬ以上、機先を制すに不如。既に遲い氣もするが、手を出し惜しみしてゐる場合とは思へぬ。ただ戰け、愼重になれといふのは、はきと言へば彼の地に斃れた外交官の遺志に悖る手前勝手としか受け取れない。