北 - 漢字私註

説文解字

北
𦮃也。从二相背。凡北之屬皆从北。
初句の段注に乖者、戾也。此於其形得其義也。軍奔曰北。其引伸之義也。謂背而走也。韋昭注『國語』曰、北者、古之字。又引伸之爲北方。『尙書大傳』、『白虎通』、『漢・律曆志』皆言、北方、伏方也。陽氣在下。萬物伏藏。亦乖之義也。といふ。
北部

康煕字典

部・劃數
匕部三劃
古文
𧉥

『唐韻』博墨切『集韻』『韻會』必墨切『正韻』必勒切、𠀤綳入聲。『說文』乖也。从二人相背。《徐曰》乖者、相背違也。『史記・魯仲連傳』士無反北之心。

『玉篇』方名。『史記・天官書』北方水、太隂之精、主冬、曰壬癸。『前漢・律歷志』太隂者北方。北、伏也。陽氣伏于下、于時爲冬。

又『廣韻』奔也。『史記・管仲傳』吾三戰三北。

又『集韻』補妹切『韻會』蒲妹切、𠀤音背。『集韻』違也。『正韻』分異也。『書・舜典』分北三苗。《註》分其頑梗、使背離也。

音訓

(1) ホク(漢、呉) 〈『廣韻・入聲・德・北』博墨切〉
(2) ハイ 〈『集韻』補妹切、音背〉
(1) きた。にげる。やぶれる(敗北)。そむく。
(2) そむく。わかつ。

解字

白川

會意。二相背く形に從ひ、もと背を意味する字。

『説文解字』にそむくなり。二人相背くに從ふ。とあり、また日に向かつて背く方向の意より北方をいひ、背を向けて逃げることを敗北といふ。

南は陽にして北は陰。

墓地は多く北郊に營まれ、洛陽ではその地を北邙といつた。

藤堂

會意。左右の兩が、背を向けて背いたさまを示すもので、背を向けて背くの意。

また、背を向けて逃げる、背を向ける寒い方角(北)などの意を含む。

落合

が互ひに背を向けた形。甲骨文では專ら假借して「きた」の意に用ゐてゐるが、原義は「そむく」や「にげる」。現代でも「敗北(敗れてにげる)」では原義で使はれてゐる。

甲骨文での用義は次のとほり。

  1. きた。北の方角。《合集》10405昃亦有出虹、自北、㱃于河。
  2. 北の。北側の。《殷墟花園莊東地甲骨》3其宅北室、亡葬。
  3. 北にゆく。《屯南》19庚寅…令馬𢧀人北。
  4. 殷の支配地のうち都から北にあるものの總稱。北土や北方とも稱される。《合集》28351其北牧、禽。
  5. 北方を掌る神格。北方とも稱される。《合集》14295辛亥卜內貞、禘于北方曰勹、風曰役、求…。

は北に意符としてを加へて背中を表した字であるが、後代には「そむく」意としては背が用ゐられることが多い。

漢字多功能字庫

甲骨文、金文は、兩が相背くさまに象り、の初文。北方は日が差さない方角で、方位詞の北は背から派生して出來した。後に北字を北方を表すのに常用するやうになり、ゆゑに北にを加へて背字を分化し、違背の本義を表すやうになつた。『戰國策・齊策六』食人炊骨、士無反北之心、是孫臏、吳起之兵也。の「反北之心」は謀反背叛の心のこと。背對の義から引伸して、古代の軍隊が敗戰した後、敵方に背を向け逃走することを「敗北」と稱し、あるいは單に「北」と稱す。『左傳・桓公九年』鬭廉衡陳其師於巴師之中以戰、而北。戰勝後、勝ちに乘じて追擊することを「逐北」と稱し、敵に背を向け逃げる士兵を追ひ掛けることを表す。『韓非子・解老』上不事馬於戰鬭逐北は、君主は、戰鬪や追擊のときには馬を使はない、の意(張覺)。『莊子・則陽』逐北旬有五日而後反。

甲骨文では方位詞に用ゐ、北方を表す。

金文での用義は次のとほり。

戰國竹簡でも國名に用ゐる。《上博竹書一・孔子詩論》簡26北(邶)白(柏)舟は『詩經・邶風・柏舟』、『詩』の篇名。

漢帛書では背中を表す。《馬王堆帛書・陰陽十一脈灸經》第38行北(背)痛、要(腰)痛、尻痛

屬性

U+5317
JIS: 1-43-44
當用漢字・常用漢字

關聯字

北に從ふ字

北聲の字