堯 - 漢字私註
説文解字
高也。从垚在兀上、高遠也。
- 十三・垚部
古文堯。
説文解字注
高也。堯本謂高。陶唐氏以爲號。『白虎通〔號〕』曰、堯猶嶢嶢。嶢嶢、至高之皃。按、焦嶢、山高皃、見《山部〔嶢字條〕》。堯之言至高也。舜、『山海經』作俊。俊之言至大也。皆生時臣民所偁之號。非謚也。从垚在兀上。高遠也。會意。兀者、高而上平也。高而上平之上又增益之以垚。是其高且遠可知也。吾𦕼切。二部。
古文堯。此从二土、而二人在其下。《小徐本》、汗𥳑、古文四聲韵尙不誤。汲古閣乃大誤。
康煕字典
- 部・劃數
- 土部・九劃
- 古文
- 𡋰
『廣韻』五聊切『集韻』倪幺切、𠀤音僥。『說文』高也。从垚、在兀上。高遠也。『白虎通』堯猶嶢也。嶢嶢、至高貌。古唐帝。『書・堯典』曰若稽古帝堯。
又姓。魏堯暄、上黨人、以武功著。
又『諡法』翼善傳聖、善行德義、皆曰堯。
又人名。『前漢・高帝紀』帝擢趙堯爲御史大夫、曰無以易堯。『宋史』𨻰堯叟、堯咨、堯佐、兄弟皆有聲、世謂𨻰氏三堯。
又山名。『山海經』美山東北百里曰大堯山、今直隸眞定唐山、縣亦名堯山以堯始封得名。
或作㚁。本作垚、小篆加兀、作堯。兀、會高意。一曰从三土積累而上、象高形。
- 部・劃數
- 土部・七劃
『玉篇』古文堯字。註詳九畫。
異體字
簡体字。
いはゆる新字体。
音訓
- 音
- ゲウ(漢、呉) 〈『廣韻・下平聲・蕭・堯』五聊切〉[yáo]{jiu4}
- 訓
- たかい
解字
堯の古い字形は垚に從ふ形でなく、垚字が堯字に先行して存在したとは思ひ難い。
白川
『説文解字』に高なり
と訓じ、また高遠なり
といふ。
山の堯高、また石の多いさまを嶢崅といふ。
古帝王の堯は「陶唐氏」と號し、その名號は土器文化と關係があるらしく、堯はその創始者とされたのであらう。燒は堯に從ふ。土器を燒成するとき、竈に多くの土器を列することから、堯の字形が生まれたものと思はれる。
段々にして積み上げるので堯高の意となつた。本來山の堯高をいふ字ではない。
藤堂
堯の原字は、背に高く物を擔いだ人の姿を描いた象形字。のち垚(うづたかく盛つた土)と兀(人の身體)を組み合はせた會意字となる。背の高い人、崇高な巨人の意。
漢字多功能字庫
甲骨文の上部は二土に、下部は兀に從ふ。兀は高くて上が平らなことを表し、堯は高い土丘(土盛り、小山)を表す。金文の上部は一土に從ひ、圥に作る(補註: 陸字の從ふ圥とは別)。戰國竹簡ではあるいは二圥に從ひ𡋰に作る。小篆の上部は三土に從ひ堯に作る。多くの泥土、土丘を表す。本義は山嶽が高く聳えること。引伸して高い、高遠なるさまを表す。後に山を意符に加へて嶢字を造り、山の高きさまの本義を專門に表す。《段注》兀者、高而上平也。高而上平之上又增益之以垚。是其高且遠可知也。
【補註1】漢字多功能字庫が堯の甲骨文として擧げる字を、白川、藤堂も同樣に擧げるが、落合は亡失字とする。是非不詳。
【補註2】漢字多功能字庫は甲骨文を二土と兀に從ふとするが、寧ろ二土と卩に從ふ形に見える。
堯は古書に至高なるさまを表す。『墨子・親士』天地不昭昭、大水不潦潦、大火不燎燎、王德不堯堯者、乃千人之長也。
は、天地は昭昭と明るくなく、大水は潦潦と廣大ではなく、大火は燎燎と旺盛ではなく、王の德は堯堯と至高(王の德が至高に留まらず、その高く深きことに果てのない形容)ではない場合は、民衆の首領となることができる、の意。
堯は上古の賢明な帝王で、至高の義を取る。堯と舜は常々竝べ稱し、二人は一緒に古聖王として奉られる。舜は至大の義を取る。「堯舜之道」は至高至大なる治國の道の代表。《段注》「堯本謂高、陶唐氏以爲號。『白虎通』曰、堯猶嶢嶢、嶢嶢、至高之皃。按焦嶢、山高皃、見《山部》。堯之言至高也。舜、『山海經』作俊。俊之言至大也、皆生時臣民所偁之號、非謚也。
漢・班固『白虎通・號』謂之堯者何。堯猶嶢嶢也。至高之貌、清妙高遠、優遊博衍、眾聖之主、百王之長也。
戰國竹簡では帝堯を表す。
- 《上博竹書二・子羔》簡5
堯之取舜也、從者(諸)卉茅之中
は、堯は田野の中から舜を拔擢した、の意。 - 《郭店簡・唐虞之道》簡9
忠事帝堯
は、帝堯のために盡くす忠誠心を指す。 - 《郭店簡・窮達以時》簡3
舜耕於鬲(歷)山、陶拍於河浦、立而為天子、遇圥(堯)也。
は、舜は歷山で耕作をし、河邊で陶器を作り、帝堯に遇つたために天子に擁立された、の意。 - 《清華簡一・保訓》簡7
帝圥(堯)嘉之
は、帝堯が舜を嘉することを指す。
成語「臨河洗耳」、「許由洗耳」は蔡邕『琴操・箕山操』に出自し、堯は許由に位を讓らんと想つたが、許由は動かなかつたのみならず、汚辱されたと思ひ、河邊に行つて耳を洗つたことを記す。故に「臨河洗耳」、「許由洗耳」は、隱士が高潔を志行し、出仕を恥ぢ、喜んで山林に隱れ棲むことの形容。
「堯廚萐莆」は帝堯の厨房に萐莆の生え出ることを記述する。萐莆はまたの名を「倚扇」といひ、古人はこれを祥瑞の草とし、その形は蓬草のやうに薄くて扇形で、用ゐて扇ぐとよく風が生じ、食物を冷やし、蠅を驅除すると考へてゐた。後の人は「堯廚萐莆」を用ゐて厨房の餚饌を歌ひ、また風を詠んだ。宋・楊億『武夷新集・次韻和李寺丞見寄之什』八珍伊鼎鹽梅味、九夏堯廚萐莆風。
伊尹は鹽や梅を調味に用ゐて八種の珍饈美食(各種の美味しい料理)を作り、九州華夏の統領の帝堯の厨房では、萐莆草が風を起こす、の意。この二句は國家に治國の賢才や名君がゐる形容。
堯は古代の英明な君主で、勤勉にして節儉(質素)で、孔子の考へでは至高にして無上の聖人であつた。堯の統治下で、國家は太平で、『論衡』が、堯が天下を治めるとき、路傍で擊壤(木を投げて別の木を擊つ)の遊びをする五十歳の老人がゐたと記載する所以である。後世に「擊壤堯年」を、太平で繁榮する世、百姓が安らかに暮らし樂しく働く比喩に用ゐる。『論衡・感虛篇』堯時、五十之民、擊壤於塗、觀者曰、大哉、堯之德也。
言ひ傳へによると堯は大權を舜に讓つてから二十八年後に死し、人民は堯が世を去つたことを聞くや、父母の死去と同樣に悲しんだ。堯は死後に萬民の禮拜を受け、今も山西省臨汾市に「古帝堯廟」がある。「臨汾」は古く「平陽」と稱し、『尚書・堯典』の記載に據れば、帝堯は平陽に都を建て、故に堯都の稱を有す。
堯は現在比較的稀に見る姓で、今の廣東省の澄海、高要、四川省の合江、福建省の上杭、清流、安徽省の貴池、河北省の景縣、山西省の太原、甘肅省の永登、徽縣などに分布する。漢族、土家族にこの姓がある。南宋・鄭樵『通志・氏族略』帝堯之后也、支孫以為氏。望出河間、上黨。
堯姓は帝堯の後裔で、宋代に堯允恭があり、海陵人、詩人。饒姓は堯姓に出自する。國學大師饒宗頤など。
屬性
- 堯
- U+582F
- JIS: 1-84-1
- 人名用漢字
- 𡋰
- U+212F0
- 尧
- U+5C27
- 尭
- U+5C2D
- JIS: 1-22-38
- 人名用漢字
關聯字
堯に從ふ字を漢字私註部別一覽・土部・堯枝に蒐める。