里 - 漢字私註

説文解字

里
居也。从。凡里之屬皆从里。良止切。
十三里部

説文解字注

里
凥也。『鄭風』無踰我里。《傳》曰、里、居也。二十五家爲里。『周禮〔地官〕載師』廛里。鄭云、廛里者、若今云邑居矣。里、居也。『〔同〕縣師』郊里。鄭云、郊里、郊所居也。『〔同〕遺人』鄉里。鄭云、鄉里、鄉所居也。『〔同〕遂人』曰、五家爲鄰、五鄰爲里。『榖梁傳〔宣十五年〕』曰、古者三百步爲里。《毛詩》亦借里爲。悝、病也。从田从土。有田有土而可居矣。良止切。一部。一曰聲也。一說以推十合一之士爲形聲。凡里之屬皆从里。

康煕字典

部・劃數
部首

『廣韻』良已切『集韻』兩耳切『正韻』良以切、𠀤音裏。『爾雅・釋言』里、邑也。『詩・鄭風』將仲子兮、無踰我里。《傳》里、居也。『周禮・地官・遂人』五家爲鄰、五鄰爲里。『前漢・𠛬法志』在壄曰廬、在邑曰里。『風俗通』五家爲軌、十軌爲里。里者、止也、五十家共居止也。

又『正韻』路程、今以三百六十步爲一里。

又憂也。『詩・大雅』瞻卬昊天、云如何里。《箋》里、憂也。

又姓。『左傳・昭十七年』鄭之未災也、里析告子產。《註》里析、鄭大夫。又百里、相里、複姓。

又地名。『左傳・宣三年』子臧得罪而出、誘子華而殺之南里。《註》南里、鄭地。

又山名。『史記・封禪書註』高里山、在泰山下。

又『五代史・附錄』契丹所居曰梟羅箇沒里。《註》沒里者、河也。

又古夫稱妻曰鄕里。『南史・張彪傳』我不忍令鄕里落它處。『沈約・山隂柳家女詩』還家問鄕里、詎堪持作夫。

又『正韻』【漢制】長安有戚里、人君姻戚居之、後世因謂外戚爲戚里。

又『周禮・冬官考工記・匠人』里爲式、然後可以傳衆方。《註》里、讀爲已、聲之誤也。『釋文』里、音以。

音訓

リ(漢、呉) 〈『廣韻・上聲』良士切〉[lǐ]{lei5}
さと。うれふ。うれひ。

解字

白川

の會意。土は社の初文。里とは田社のあるところをいふ。

『説文解字』に居なりとあり、會意とする。《繫傳》に一に曰く、土聲なりとするが、聲が合はない。

『書・酒誥』に越在內服、百僚庶尹惟亞惟服宗工越百姓里居(ここに內服に在りては百僚庶尹、れ亞、惟れ服、宗工と百姓里居」」とあり、周初の金文《令彝》に明公、あしたに成周に至り、命を出だして三事の命をく。卿事寮と諸尹と里君と百工ととあり、『酒誥』の「里居」は「里君」の誤り。

里はのち行政の單位となり、條里、里數の意となるが、字の原義は田社のあるところ、そこを主宰するものを里君といつた。君は古くは巫祝王などに用ゐた語。

國語の「さと」も、神聖な地域を意味する語であつた。

藤堂

(四角く區切りをつけた井田)との會意で、區切りの筋を入れて整理された畑や居住地のこと。

落合

西周代に初出。から成り、人が住む「さと」を表してゐる。轉じて行政區劃や距離の單位などとしても用ゐられた。

漢字多功能字庫

に從ふ。本義は古代の村民が聚居してゐた場所。里字の初見は西周金文で、田と土に從ひ、土地、田地は居住可能の意と解く。西周金文では田と土の中を劃が貫通し、晩周以後は縱劃の上にある圓點が伸びて短い橫劃になり、遂に篆文の里字のもととなつた。『説文解字』里、居也。(後略)一説には、古人は農業が發達し、田地に耕作をするやうになつた後、初めて定住できるやうになり、故に田と土で「居也」の意と解くといふ(參:戴家祥)。今、簡化字ではに從ひ里聲の裏字を里に組み入れる。

金文での用義は次のとほり。

戰國竹簡での用義は次のとほり。

漢帛書でもまた通じて理となし、道理を表す。《馬王堆・天下至道談》第65行牝牡之里(理)は、雌雄の道理をいふ。

屬性

U+91CC
JIS: 1-46-4
當用漢字・常用漢字

關聯字

里に從ふ字

漢字私註部別一覽・田部・里枝に蒐める。

其の他

里を裏の簡体字に用ゐる。